書籍、新聞、雑誌等印刷物の発行部数は減り、廃刊となるものも多い。個人的に思う典型はあの分厚い電話帳。あれを印刷していた会社は今どうしているだろう?関連して思い出すのは他界した兄がのこと。兄が勤務した会社は兄嫁の実家の会社で、大蔵省印刷局が最大の顧客、お年玉付き年賀状の印刷を一手に引き受けていた筈だ。一時は景気が良かった時代もあったようだが、現在は結局無くなって仕舞ったと思う。時代の変化は恐ろしい、経営も変化に応じて変わるべきと簡単に言うが、そう簡単にはいかぬだろう。
半導体生産では一時世界第1位だった日本のこと、北海道の鰊屋敷ではないが半導体関連長者も沢山生まれたと思うが、その面影は今いずこだ。小生が大学を卒業して25年勤務した広告会社は、当時日本最大の発行部数を誇った雑誌「家の光」の関連会社。雑誌自体は残っているが往時の繁盛ぶりは影も無いだろう。替わりに放送メディアやインターネット等の新しい媒体が続々登場して情報には不自由しない世の中になった。この業界でご活躍の皆さんは結構なことだ。
当然広告の形も変わった。小生はその変わり目の直前で業界からとび出て、当時は早まったとも思ったりしたが、今にして思えばあの業界で偉くならずによかったと思い始めている。何でもそうだろうが、高給を食めばそこから離れる事が難しくなるのは当然のこと。そこそこのお長目であれば「もう要りません、ハイ、さようなら」は比較的簡単。最初は25年勤めたが、その後は8年、7年、5年だったと思う。その3回は何れも常務取締役と言う役職に辿り着いたので、辞める方法に少し苦労した記憶がある。
見切り千両、損切万両とはよく言ったものだ。
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