2024年9月4日水曜日

父の訓え

 子供の頃、と言っても高校時代までだが。我が家では朝から家じゅうを手分けして掃除し、終わると勝手に続く茶の間に長方形のちゃぶ台を組み立て、正面に父、両側に母(父の脇)と兄弟5人が2人と3人に分かれて並んで、一緒に食事をするのが習慣だった。現代のように余りおかずが無かったので、目の前にあるのは茶碗とお椀だけ。真ん中に大皿に盛った菜っ葉の漬物とか、生卵を溶いた丼くらいは置かれていたかもしれない。朝食時は互いに話はあまりしなかったと思う。

昼飯の印象は殆ど無いが、時々父が夕食時に帰宅することもあり、その時は朝と同じ配置で並び、若干のおかずもあったと思う。何よりも父の前にはお酒が供されていた。父は謹厳実直居士的な存在だったが、こんな時は必ず冗談めいた話をした。そんな機会によく聞いた話で印象に残っているのは「実ほど頭を下げる稲穂かな」とか「志は高く身は低く」。或いは「急がば回れ」や「学問に王道なし」などは英語の勉強を兼ねたつもりだろう、英語と日本語を交互に言うのが常だった。

そして決定的極めつけが「私は小過は沢山あるが、大過なく過ごすことが出来た。これはお母さんのお陰が大きい。」と母に世辞を言うのだ。父は2005年生まれだから35歳年長。母は7歳下。5人の男児に対する教育方針についてどんな話し合いがあったか知らぬが、両親は長男に厳しい時代も一時あったが、暫くすると進路に関して何も言わなくなった。総てが子供任せだったような気がする。通信簿なども中学くらいまでは両親に見せていたが、高校に入り成績が悪くなってきたので見せるのをやめてしまったが、文句を言われた記憶は無い。

今日は朝から快晴、気温も午前中は精々26度とやっと秋らしくなってきた。気分が良いので朝から書いている。父の思い出が中心だが、教えとして大事なことは「自分でよく考えて行え。」「当然上手くいかないことも多々あるだろう、そしたら反省してやり直すまでだ。」大学卒業まで仕送りを送ってもらい「私たちは塩を舐めても卒業までは送るから、アルバイトはしてはいけません。」何時も相談には乗ってくれて、手助けもしてくれた。しかし最終的には自分で探し当てたところで何時も落ち着いたような気がする。ただ、就職してから親に送金したことは一度も無いのが悔やまれる。

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