2024年8月13日火曜日

先人への思い

 同年代の人でも先の大戦の思い出は様々だと思う。小生にとっては昭和22年2月、終戦の20年8月から消息が分からなかった父が帰国したことで初めて戦争が終わったようなものだ。当時母と私たち兄弟4人は、長野市から少し離れた松代町にある母の実家に身を寄せていた。祖父は小生が生まれるとすぐ亡くなっていて、実質家長は祖母。同居していたのは、結核で寝たきりの伯父と従妹1人。住まいは江戸時代から続いたかなり広い武家屋敷で、東北の角は秋葉神社が祀られ、南にはかなり広い泉水があって、その水は西側の川から取り込まれ、東側に流れる小川に流れ出ていた。北側は道路に接して塀が設けられ、西側は畑で、こちらの馬場町から隣の代官町まで開けていた。境は無かったが、子供の頃足を踏み入れ大変な思いをした肥溜めが目印だったかもしれぬ。

座敷に置かれた仏壇は普段使用せず閉じられたままだったが、流石盆になると開かれて、部屋に提灯が置かれ、先祖が帰宅する時乗ってくるための乗り物、即ちナスやキュウリと割り箸で作られた供え物が置かれていた記憶がある。盆の3日間食い物は野菜のてんぷら、おやき、そばの日と決められていた。どれをとっても美味いと思ったことは一度も無い。要するに盆の間は精進に徹しなければいけなかったのだろう。肉なんかは普段から食えない時代だったから、自家製の鶏卵も控えたのかもしれぬ。勿論庭や池で小魚を取ったりしてはいけないとされた。就学前の子供で菩提寺がどこかも知らなかったが、日常生活にこういった禁忌があることを教えられていた気がする。

現代そういったことは一切無いが、静けさだけが盆であることを思い出させてくれる。世界に仏教徒がどのくらいいるか知らぬが、外国は血腥い話で持ち切りで少しうんざりもする。せめて日本の政治家はこの3日間だけでも精進潔斎でもすればいいのに、自民党石破氏を筆頭に野党前原誠司氏等与野党議員団が台湾を訪問と来た。彼等が盆と言う日々をどのように祀るか知らぬが、どう考えても戦陣に散った先祖に褒められることはあるまい。

0 件のコメント: