2024年5月29日水曜日

無責任政党

 三男坊に生まれてしまったので、子供の頃からいい大人になっても気楽に過ごしてきた。家族に対しては、両親に逆らわない限り大抵のことが許されると勝手に思い込んでいたのだろう。中学高校でも部活と無関係だったので、自由気まま。所謂不良グループで適当に遊んでいた。高校時代のグループは放課後になると、10人前後が運動部よろしく近くの丘をランニングで登り、納骨堂の石段を上り下りした後で少し下って女学校の運動場が見える原っぱで煙草を吹かしながら雑談することが多かった。

それでまっすぐ帰宅すれば未だ良いが、それから家を脇に見て盛り場の百貨店屋上にあった牛乳販売コーナーで牛乳を飲んだりして時間を無駄に過ごしたものだ。その時代の友人が今も深い付き合いになっている。要するにどうしようもなく無責任だったと言える。いっそここで罰が当たって卒業後は就職になれば良かったかもしれぬが、東京の大学に進学できてしまったのだから、植木等の歌文句にあるように無責任の極みで困ったことだ。

大学の後初めて東京で親の期待に添わぬ小さな会社に就職して、兄と一緒に新宿で自炊するようになった。ここで兄から指導されて少し使命感を持ったが、役目は掃除洗濯と食事の支度くらいだから大したことではない。結婚してからは少し家族に対する責任感が芽生えたが、女房子供からはそれ程には感じてもらえなかったかもしれぬ。それまで負っていた責任の掃除洗濯食事は全部家内がしてくれる、こちらは会社から貰った給料を渡すだけ。それも前借を差し引かれたかなり低い金額だったことを思えば当たり前だろう。

今になって使命感を云々するのを家内が知ったら大笑いするか、怒ることだろう。しかし今や実家では最長老、娘二人に孫も三人、従って使命と責任は果たせるかどうかはともかくとして、重さだけは実感している。

詰まらぬことを長々と書いてしまったが、書きたかった本命は政治のこと。政府は未だに自民党の政治資金問題にケジメをつけるに至っていない。今日報道された北朝鮮による拉致問題で、「北朝鮮から伝えられた日本人の生存情報に対応しなかった」として日本政府の責任を問う声にしても同じこと。あまりのご粗末さに辟易するが、都合の悪いことには知らぬ顔をすること。不祥事に対して責任を持てる人間が不明・不在になることに原因がある。

今の自民党は誰が最高責任者なのか?問題が起きるたびに責任者の存在が分からなくなる。こんなものが政党と言えるだろうか。有権者の多くが早く気づいて、次回選挙で責任者不在の無責任政党の候補者に投票しないようしてもらいたい。

0 件のコメント: