自慢にはならぬが子供の頃から学問が出来ない方だった。好奇心だけは強いので特に嫌いではないが、努力が必要な学習が苦手だったことだけははっきり言える。学問の基礎は読み・書き・算盤の三つ。読むことだけは辛うじて人並みになったが、書きと算盤は結局人並みにならずだった。この秋から郵便料金がまた値上がりするとのことだが、63円切手も84円切手も10枚シートのうち半数以上残っている。50円切手、62円切手、82円切手10円切手、2円切手なんかいつ買ったかも思い出せない。
指先が震えるわけだはないが、子供時代から字が下手で自分でも何か書くのが恥ずかしくて嫌なのだ。算数も理屈は分かって面白いが、どうも一人で挑戦するとどうも上手くいかない。小学高学年になると「二一天作の五」で算盤が必須となってクラスで競争させられたが、何時もびりの方だった。中学になると今度は英語の勉強、高校に進学したり更にその上を目指すにはこれを身につけなければと、高校3年生時代は英字新聞「ジャパン タイムズ」の社説を毎日読んで勉強した。
結果功を奏して慶応義塾に文学部に入学したものの、第2外国語のドイツ語では1年生時代に赤点となって、2年生は選考進学の通知。スキーに遊び惚けている時に通知が自宅に届き、両親に相当心配をかけた。しかしこれは2年生になって夜間の補習授業を受けることで済み、4年間で大学も無事終了出来た。後に娘が祖母と東横線に乗車して日吉駅を通過した際に「ここがお父さんの出た学校よ。」と聞き、驚いたとのこと。いつまでも家内との間で笑い話になっていたくらい。
下らぬことを長々書いてしまったが、最近思うのは学問と関係深い学習のこと。流行りのAIによれば、今まで必須であった学習の大部分が不要になるのではなかろうか。特に外国語学習なんかは要らないようにも思う。えらい世の中になったものだ。
2 件のコメント:
結局のところ、「自分に必要な」学問はいつまでも覚えているのではないでしょうか。
「自分に必要な」事が、他人にも役立つ事であれば、運が良ければノーベル賞。
凡人は、「自分に必要な」事が揺れているから、次から次に覚えた事を忘れる..黒板状態になるのでは..
何でもそうでしょうが、努力の積み重ねが大事なのでしょうか。
呑兵衛あな さん
何時もコメントをありがとうございます。
健忘症の私には努力の積み重ねも虚しいものです。
兎に角えらい世の中になったものです。
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