2023年7月19日水曜日

けじめと曖昧さ

 世界中であちこち戦争が続き、日本までそれに関わりを持ち始めている。余り感心できないことと思うが、年寄から一言苦言を呈したい。日本人は歴史を顧みない民族ではないと思うが、近頃の政治家諸氏はまだ100年も経たない前のことを忘れた顔で、昨日今日の他国のことについて第3次世界大戦前夜だとかあれこれ言っている。日本が大敗北した先の大戦集結は1945年9月2日。結果何が起きたか、皮膚感覚で知る人が減っているのは分かるが、未だ80年も経っていないではないか。

昨日たまたま靖国神社前を散歩しながら、敗戦の始末すらついていないと思った。子供心に一時は靖国神社なんか失くなるのではと思った時期もあったが、今は堂々たる威容を誇っている。仄聞するとアメリカ大統領は戦死した兵士の遺族一人ひとりに哀悼の手紙を書くのが常だったとのこと。翻って日本では戦死者の人数すら特定できていないと思われる。昨日帰宅してから念のためにネットで検索してみた。

ネットでは次のように記されている。「日本人死者は、310万人(軍人・軍属が230万人、民間人が80万人)に達し、その9割が1944年以降の戦争末期に集中して亡くなったと推算される。」推算されると言うことは人数すら正確に把握できていないことの証明だ。更に戦争の責任者も曖昧で、本当の総括(反省)が行われたとはとても思えない。先に靖国神社についても感想を書いたが、子供心的には軍隊を持つ国になるなんて夢にも思わなかった。

もちろん子供のことだから、国際法上の自衛権なんて知りはしない。世界には軍隊が無い国があると無邪気に信じていただけだ。だったら新憲法を制定する際に明確に書いておけば良かったと思ったりするこの頃だ。日本を戦争に導いた責任は誰にあるのか、未だにはっきりは分からない。個人的に思うのは、1億総懺悔なんて言わずに、マスコミや文学者を含めはっきりさせた方が良かったのではと思ったりもする。当時は「追放」と称してかなりの人数が公職を外されたが、結局は1年も待たずに元の木阿弥。当然天皇にも責任は及ぶだろうが、戦前からの上御一人思想が残っている。

色合いで言えば曖昧さは日本の美意識という人もいるが、物事のけじめという意味でどうも性格的に相容れないものがある。

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