2023年3月8日水曜日

テレビの力

 誕生が1940年だから恐らく小学校を卒業するまでくらいは、こちらにはあまり関係なかったが、マスコミと言えば精々新聞とラジオ、更につけ加えれば雑誌くらいだった。中でも歴史は新聞が最も古く、社会の木鐸と教えられ、大人になったら読みなさいとされていた。しかし中学生になっても新聞を読むことも無く、毎日配達されていた信濃毎日新聞は、翌日には虚しく便所で家族7人が使う落し紙となって消えていってしまった。

中学に入る頃までには茶の間(食事をする部屋)にラジオが置かれていたが、父は朝のニュース以外は聞かなかった。要するに子供が得る情報は家族や学校の先生、友人から得る情報だけで十分だったとも言える。これが極めて特殊な育ち方かとも言えないような気がする。中学生ともなればラジオへの関心が発展して無線機を組み立てた友人もいるし、ラジオから流れる流行歌に強く惹かれた友人も居たが、所謂社会情勢に対する関心は似たようなものだったと思っている。

中学生になるとテレビ放送が始まり、力道山のプロレスブームが日本中を沸かせたりしたが、我が家がテレビを買ったのはずっと後のこと。ひょっとすると東京オリンピック間際だったかもしれぬ。兎に角、テレビの普及が社会に及ぼした影響は計り知れない。現代は母乳を飲んでる時から近くにテレビがあった人間が殆どだろうから、その影響力を政治家が無視できないのも理解できる、政治家がこのメディアをなんとか利用しようとするのも当然だ。

最近になってメディアを所管する総務省から、メディアの公平性確保に関する古い書類が流出、安倍政権時代にこれを規制してい法律の解釈変更しようとしていた事実が暴露され問題化している。法律や法律の解釈を都合よく変更するのは近年自民党の常套手段だから驚くには当たらないかもしれぬ。そのことは扨措き、問題はインターネットが発達した今後である。人間が獲得できる情報量はテレビ時代と比較にならぬほど増大してる。成人の孫が2人いるが、二人共個人的にはテレビを持たないようだ。スマホかPCがあれば情報には不自由しないのも事実だろう。

これまでのメディアが担っていた社会情報や政治情報は取り敢えず知らなくても不都合を感じないのかもしれぬ。確か同じ年頃の自分を思い起こせば、総務省の行政文書なんて聞いても意味が通じなかったに違いない。そして今後の情報社会がどのように変化するかは小生には全く分からない。

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