2022年6月18日土曜日

父の日

 他界した妻の口癖が「我が家は一年中父の日」だったので、父の日が何月何日かもずっと知らずに来たが、今日はその日らしい。てなことで長女が甘党の父の好物「お菓子」を持って慰問に来てくれた。住まいは遠くはないが、コロナ禍で顔を合わせる機会はめっきり減っている。孫が中学二年なので高校進学も気になりだしたらしい。確かに2年なんて歳月はあっという間のことかもしれぬ。

昔から勉強嫌いだったので、子供の教育も家内に任せきりだったが、これまた家内の口癖が「お父さんが税金をきちんと払ってるのだから、あなた達も学校できちんと勉強しなさい。」で塾にお金を使うことを認めなかった。その娘だから彼女も孫を塾に預けず、自分で面倒を見てるらしい。口ぶりでは孫の成績は安心して見てる訳にいかないようでもあるが、親の心配しすぎもあるかも知れぬ。彼女の心配はこちらにも及び「4回目のワクチンの通知が来たか?」との質問。

ちょうど昨日、かかりつけ医に3ヶ月おきの検診に行った際、ワクチン接種を希望するかを聞かれたので「宜しく」と答えると「帰りに受付で予約をしていってください。区役所からの通知はその後で行きます。」てなことで7月12日に予約したことを報告、安心してもらった。3ヶ月毎の検診と言っても本当に形ばかり、血圧と胸と背中の音を聴くだけ、俗に言う3分診療で、あとは尿酸値を下げる薬90日分の処方箋を貰うだけ。昨日の血圧は下が72、上が120、聴診結果も異常は無し。

薬局の薬剤師さんの質問の方が丁寧だったかも知れぬ。診療費は3月と同じ440円だが、薬代3月に310円だったのが今回は300円と安くなっている。諸物価高騰の世の中で不思議なことがあるものだ。

3 件のコメント:

呑兵衛あな さんのコメント...

私は、父が2度の徴兵から戻った後にできた1人子です。
父が36歳、母が32歳と、現在なら然程でも無いのですが、終戦直後としては遅い子供という考えを持っていたようです。
そのため、他家でなら許される程度の甘えもできすに育ちました。
誕生日とかを祝われた経験はありませんが、唯一、花輪町から秋田市に転居した小学2年生のクリスマスに父がチッポケなケーキを飾った記憶があります。
そんなこんなで、我が家では祝い事という行事は一切行われませんでした。
50歳で地方公務員を定年退職した父ですが、「還暦祝い等は不要」と申し渡され、以降我が家ではその手の行事は行わないことになりました。
両親としては我々息子夫婦の結婚式は行いたかったようでしたが、私から固辞しました。
ですから、父の日・母の日ということをしたことはありません。葬儀だけですか。
我々夫婦間でも歳祭りを含めて、何もしないことにしています。
先に逝く者は葬儀程度はしてもらえるかもしれませんが、残された者は...?

senkawa爺 さんのコメント...

呑兵衛あなさん
お早うございます、何時もコメントをありがとうございます。
戦後に多くの国民が向き合った困難な状況は似たようなものだと思いますが、幸い我が家は比較的早く人並みになれたと思っています。それでも76年も経ってしまった現在の世相にはなかなかついていけません。国の指導的立場にある方々には、もうすこし近世だけでも良いですから歴史を学び、日本がどうあるべきか真剣に考えていただきたいと思うこの頃です。

雲の平 さんのコメント...

せんかわさんのおふたりの娘さんは本当に親孝行ですね。
いつもお父さんのことを心配していてくれるのですからせんかわさん心丈夫
ですね。うちは夫婦そろっているせいか、子供たちはそれぞれの生活に追われてあまりやって来ません。
昨日は久しぶりに夫の両親の墓参りに行ってきました。働き者の真面目なふたりでしたので墓の前で感謝してきました。私の父には何一つプレゼントもしなかったので、今度松代に行ってお菓子でもお供えしましょうと考えました。
そのころは母の日はあっても、父の日なんてありませんでした。