2022年1月2日日曜日

読後感『明治日本はアメリカから何を学んだのか 米国留学生と『坂の上の雲』の時代』

小川原正道著

 タイトルが些か長過ぎるが、内容的には非常に興味深く正月休みの読み物として素晴らしかったと言える。明治維新1863年前後のアメリカは、1976年に建国から100年目を迎える時期で、未だ建国当時のピューリタニズム、(wikiには次のように記されている「厳格で潔癖な生活を送るべきだとする考え方。 清教徒主義。」)が残っていたとも言えるし、まだまだ開拓すべき分野も多かったので、維新で幕が開いた近代日本と似たような状況があったとも言える。

日本は1850年代半ばに突如出現したアメリカ海軍ペリー提督によって、太平の夢を破られ、当時の指導層であった武士たちも文明の遅れに愕然としたに違いない。これは2年近くに上った内戦の勝者敗者に関係なく共通の認識だったのだろう。兎も角、内戦が終了するや否や、心ある武士の子弟は競ってアメリカ留学をし、アメリカ文明を取り込むことになる。

当時の武士家庭では子供の頃から先ず四書五経などの漢籍を修めることが学問の基本だったが、維新以降はこれに英語を学ぶことが加えられた。中で優秀とされた子供たちがアメリカへの留学を認められて洋行することになった。彼らは単に学問や語学が優秀であっただけでなく、文明を自らの頭脳に取り込み、帰国して国家に役立てるとの使命感があったことがある。

彼らの留学先はいろいろあるが、主に今もアメリカンエリートの象徴「アイビーリーグ」(ハーバード大学、イェール大学、ペンシルベニア大学、プリンストン大学、コロンビア大学、ブラウン大学、ダートマス大学、コーネル大学の8校で、アメリカ北東部に位置する名門私立大学の総称)中心で、他にはMIT等がある。この時期多数の日本人が留学したことは、後に日本が文明国の仲間入りをするのに非常に役立っている。

新書版の薄い書物で紹介されているだけでも実に多彩な人物となる。これらの人が帰国後も、嘗て同窓生だったアメリカ政界や実業界の有力者と友情を育み、日本国に大変な有益をもたらしているが、その集約が日露戦争の勝因になっている。伊藤博文を筆頭に小村寿太郎と金子堅太郎のことは概略知られて入るが、彼らが留学中どんな生活を送ったかについては初めて知ることが多かった。

他にぜひ取り上げておきたい人物を二人紹介したい。独りは「武士道」の著者新渡戸稲造と、MIT出身で日本実業界に大きな貢献をした三井財閥の総帥だった団琢磨。彼は日本の実業界に大変な貢献をしているが、昨今は渋沢栄一に押されて影が薄くなっている。新渡戸が武士道執筆に至るのは、彼がアメリカの帰途ドイツでベルギーの法学者から「宗教教育が無くて、どうすれば倫理教育ができるのか?」と問われて「我が国には武士道がある」ことに思いが至ったとされている。

学問をする意味が当時とは全く変わってしまった現在、改めて読んでよかった。

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