2021年6月27日日曜日

読後感「茶道太閤記}海音寺潮五郎著

 このところ積ん読が長くて、本書も誰に薦められたか忘れてしまった。しかし読み始めると面白くて一気に読了した感がある。さすが時代物については一流と謳われた作者の作品だ。書かれたのは昭和15年で小生が生まれた年。後に作者自身が次のように語っている、「わたしがこの作品を書くまで、利休は単なる茶坊主としてしか見られていなかったのです。利休が茶道という芸術の世界の巨人であり、それまでなかった新しい美学を創造した天才的英雄であることは今日では常識になっています・・以下省略」

その利休が自刃したことは今やよく知られたことであるが、この作品は俗界の英雄豊臣秀吉と芸術界の英雄千利休を対比させて、その抗争を描き出している。その巧みさは登場人物の配置にあると思う。テーマとしての主役は先に書いた二人であるのは間違いないが、小説の主役は利休の娘のお吟。彼女も実在の人物のようで、一旦嫁に行くが、23歳で実家に戻っている。美人だったらしい。

俗説には彼女に横恋慕した秀吉の言うことを聞かなかったので、父の利休が切腹をさせられたとの説もあるようだ。ともかく、秀吉が朝廷から豊臣姓を受け関白になったのが1586年とあるから、その前後が時代背景になっている。世の中は戦国の世相が横溢し、武将たちも多く未だ生きている。北陸の佐々成政やクリスチャンの高山右近とか官僚として重用されている石田三成や小西行長等など、登場人物も多彩で、地理的にも立山連峰の大汝山が出てきたことにもびっくりした。

しかし表面的に秀吉の周辺の女性、正妻の北政所と若い側室淀君との確執が太い幹に描かれる。そして頂点を極めて怖いもの無しで望めば何でも手に入るはずの秀吉が、更に若いお吟に魔手を伸ばすことで小説が始まる。面白くならない筈もない。周辺に描かれる戦国の武士たちは当然ながら次々に殺されたり、責任を取って腹を切ったりして死んでいく。そんなことはごく自然にサラリと描かれているが、昭和15年とはそんな時代だったのだろう。

更に言えば、日本人の倫理観と宗教感のこと、忠君愛国とキリストという絶対神との矛盾相克について作者は答えを用意してない。色んな意味で読み応えがあった。

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