2021年6月11日金曜日

我が祈りと宗教

 本来は梅雨入りしそうな頃合いだが、今週は降雨もなく暑い日が続いた。予報では月曜まで雨は無さそうだ。家内の葬式をしてもらった都内の寺からお盆供養の知らせが来た。遺骨は故郷長野にある寺の墓に埋葬したので、一応縁は無くなってるとも言えるが、盆にお布施はすることにしている。最近は無宗教の人も多く、若い人には先祖の墓を墓じまいして寺との縁を切る人もある。人間死ねば「はいそれまで」だから合理的かも知れぬ。

どちらかと言えば自分にはそちらに近い考えもあるが、そこまではなかなか踏み切れない。家内も同様に考えていたと思うが、葬式が済んでから娘たちが、両親や兄弟が眠る故郷長野の寺に納骨することを強硬に言い始めた。娘たちの嫁ぎ先はどちらも長野県外、墓参りをするにも何かと不便だろうから、東京に墓を設けようと思っていたので非常に面食らった。しかしその勢いに負けて長野の寺と交渉、これが難儀を極めたが結局住職の了解を得てそのようにすることができた。

兎も角宗教に関わる問題は面倒だ。育った家には仏壇も神棚もなかった。父が官僚で転勤が多かったことは理由にならないだろう。父の実家は長野市から少し離れた上田市で、当然そこには父の実家の菩提寺も墓もある。ところがある日、父は実家の菩提寺に行って菩提寺からの離脱を宣言してきたとのこと。そして住まいの近くにあった菩提寺と同じ宗派の寺に墓所を購入、進んで信徒になった。それを聞いた時思ったのは、父はいざという時、寺が近いほうが何かと便利だろうと思ったのだろうぐらいに考えていた。

後に母に聞くと、父は5男の末っ子で、死んでまで兄たちから下目にみられるのを嫌い、自分が子や孫をから尊敬される先祖になりたかっただけよ。だから皆父の準備した墓に入ってあげなさい。と言われたこともある。家内も同じことを聞いていたら、母や兄嫁との関係を思うと、内心反発しただろうと思わないでもないが、母からすると孫に当たる娘たちがどう思っていたか分からない。結果的に父の思い通りになったのだから、それはそれで良かったと思っている。

日本人、少なくとも我が家、否小生の宗教観は極めて原始的自然崇拝主義と言える。神も仏もグチャグチャで、独居するようになってからは一応仏壇を用意して家内の位牌を置いて毎朝手を合わせているが、思いは家族や親戚、世話になった人、親しかった友人たちの顔である。不思議に願い事は頭に浮かばない。確かに最近は余り大層な願いが無いのも事実。精々今日1日は晴天がもってほしい程度のものだ。

両親と一緒に暮らしていた当時、父も毎朝東に向かって手を合わせて何かを拝んでいた。果たして何を思っていたのだろう?

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