2021年3月2日火曜日

政官関係

 国政選挙の度に国民の約半数は投票しているのだから、政治には一定の関心があるはずだ。関心の度合いの差があるから人によって異なるだろうが、昨今の政治の有り様に疑問を抱く人がいて不思議は無い。「俺が投票した政治家は、国会で一体何をしているのだろうか?」そもそも国会は立法府だから法律を作るのが主たる仕事のはず。故田中角栄氏が33本もの議員立法を成立させていることは有名だが、国会中継なりテレビの報道で法案審議なるものを観た記憶が無い人が多いと思う。

最近観るのは行政に関係することばかりで、政府側からは「コロナ関係でこのような対策をします。」とか具体的には言わないまでも「携帯料金の値下げをします。」「尖閣諸島防衛のためにこんな方策を取ります。」のように、大臣が態々こんなことまで言うのかね?と疑問に思うようなことばかり。一方の野党は行政の不始末を追求するのが専門で、それをもって政治家の監督責任追求の火種にさえすれば満足の体にしか見えない。言いたいことは、与野党ともに、この国を進める、或いは育てるために今何が必要か、についての議論が国会で行われてほしいが、そういった意味での討論は殆ど皆無に近い。

形式的には与野党にある「国会対策委員会」(国対)という法的根拠のないシステムに依存していることにはなっているが、これがもし本当に国家を論じる主たる機関であれば、これこそ議論を公開すべきだ。しかし実態はご案内のように国会審議の運び方を議論するだけで、与党お決まりのセリフが「党に持ち帰って検討します。」だから話にならない。とは言っても、毎回の国会には議員提出法案も政府提出法案も多数(合計すると100本以上)出されているのも事実だ。

ネットで一覧できるが、どれを見ても全て霞が関官僚がお膳立てしたものと推測できる。(今国会は第204回だが第195回から継続しているものもある。概ね野党議員の提出法案だろう。)言いたいことは、官僚が立法を担って政治家は行政府のパフォーマンスに終止しているのではないかという事だ。これは小沢一郎氏が民主党政権時代に言い始めたことだから、現在の野党にも責任はある。国造りは政治家がするもので、役人には口を出させない、との精神で官僚の国会での発言を封じてしまった。

小沢氏のように憲法から始まり、政治の勉強を深めた者ばかりなら分かるが、所詮は小物ばかりの政治家の世界。さらに悪いことには、小沢氏が提唱して始まった内閣人事局による人事権行使が自公政権ですっかり悪用され、官僚が政治工作のトカゲの尻尾に利用されている。小沢氏も罪なことをしたものだ。やはり政治と官僚の間には明確な緊張関係が必要だ。

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