2020年2月18日火曜日

テレビの罪

テレビ番組は下らないと多くの人が指摘するが、娯楽であれば下らないのは仕方がないかもしれぬ。しかしテレビには報道もあり、社会情報系と称する尤もらしいと言うか、真面目を装う番組もある。この手の番組は小生もよく観るし、観ている人は多いと思う。下らないと言われる番組は、視聴者に対するインパクがあっても後々まで大きな影響を与えることが少ないように思う。しかし後者の場合、知らず識らずにここから影響受けるところ大になりかねない。何故なら視聴者側も半ば真面目に受け止めると思うからだ。

地方局ではどうか知らぬが元を質せば新聞社から発生したテレビ局、何れにしても国から電波の割当を受けている免許事業であるのは言うまでもない。親会社は国から土地を貰ったり税金をまけてもらったり様々な特恵受けているのも公然のこと。依って国家や時の政権に批判的な態度を取ることが出来ないのは半分分かる。しかし一方でその来歴を尋ねれば、社会の木鐸として高い志を持って発足したではないか。

新聞には未だに社説が残り、木鐸としての誇りを捨てきってはいないことを誇示しようとしている。しかし残念ながらテレビ局にはその片鱗も残っていない。活字より大きなインパクトをもつことを自覚しながら、報道とも解説ともつかぬ手法を通してできるだけ意味するところを曖昧にすることに腐心しているようにしか見えぬのが実態だ。テレビ局には編成部員は居るが、新聞社のような編集委員とか論説委員は居ない。

外部の人間を起用したりして番組を審議することはあるようだが、殆どが事後の審議ではないかと思う。新聞社と同じように政治記者も社会部記者も経済部記者もいて、一見両者とも同じような活動をしているようにも見える。しかし結果的にはテレビ局の主張は全く放送には反映されない。当然である、会社が新聞社以上に政府に対して弱いのだ。民法全体が形の上で株式会社であっても、実態としてはNHKと変わらない。

全体として考えると、現代社会に対する反対とか疑問を生じさせるような見解は一切封殺して、現状を已む得ないとか、我慢したほうが良いと誘導することに専念している。一見総理の態度はいけないみたいことを言う人間がいたとしても、後に必ずそれと正反対の意見を本人が言うか、誰かに言わせるようにしている。昨夜前者の典型として橋本徹氏出演の番組を見てしみじみ分かった。

新聞はその点未だマシだ。朝日は今朝の社説で「首相の主張をうのみにはできない。」とはっきり言い切っている。何も特別な見解でなく多く一般人が思っていることだろう。テレビによる国民ミスリードの罪は大きい。

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