報道の本質

子供の頃から外国の小説を読んだりして勝手なイメージを作ってきたが、長じてから現実に外国旅行ができなかったコンプレックスがあるのかもしれない。昔は映画館で観たモノクロのニュース映像、そして今ではテレビの海外報道を興味深く観ている方だと思う。しかし外国のことは数分の報道だけでは、真っ暗闇の中で象のしっぽに触ってその姿をイメージするのと同じことだ。

しかし先日の突然降って湧いたようなペシャワール会中村哲氏の報道には胸を打たれた。昔から時々思いついたような、それも不幸は事件での報道が主だ。今回も氏にとっては最大の不幸が襲った報道だった。氏のご冥福を祈ったのはもちろんだが、それにしてもアフガニスタン国を知ったのはいつのことか記憶がない。今や限られた報道だけでこの国を想像するのは非常に難しい。映画の舞台として屡々登場しているので、そっちの方から刷り込まれたイメージ法が強いかも知らない。

歴史的には相当古くから存在し、カンダハールやバーミアンなんて聞くと何となく三蔵法師の時代を彷彿する気がする。しかし記憶にある限りは戦いに明け暮れているイスラム教国家で、嘗てはソ連とそして最近はアメリカを敵に回して戦っているようなイメージ。ソ連とは兎も角として、現在国家としてはアメリカと戦っている訳ではない。その複雑さが日本人で理解できている人は極めて少数の筈。それこそペシャワール会関係者や嘗て北部部族の武装解除に国連職員として実際に関わった伊勢崎賢治氏くらいのものだろう。

こんな思いを書いたのは今日孫崎享氏のメルマガに書かれていた『ワシントン・ポストは「アフガニスタン・ペーパーズ」を発表。』を読んだからだ。そこにはこう書かれていた。曰く「アメリカは共和ブッシュ、民主オバマ、共和トランプの18年に亘りアフガンで戦争を続けている。しかしこれほど無益無駄な戦争はない。政府高官や将軍達は全員そのことを知りながら国民に嘘をつき続けている。」

「長年に亘る失敗の連続ではあるが、目新しいものは何も無い。大きな変化がないから、聴衆をエキサイトさせるものが無い。結果として殆ど報道が無い。」現代の報道の本質かもしれぬが、ワシントン・ポストはこのペーパーを世に出しただけ未だ益しだ。

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