2019年11月29日金曜日

老後の人生

一昨日京都で久しぶりに会った友人が面白い話をしてくれた。彼は未だ60歳を少し超えただけ、サラリーマンをして一応役員まで行ったが、定年と同時に会社との縁を絶ち、元々好きだった音楽の世界で所謂シンガーソングライターをしながら自由気ままな生活を楽しんでいる。シンガーソングライターを職業としたつもりでも、趣味を満足させることは出来ても社会は急には認めてくれないだろう。しかし話を聞くと、地元から始まり徐々に活躍の場が広がりつつあるようで目出度い限りだった。

その彼が話の中で面白い想いを聞かせてくれた。「これまで様々な思いを歌ってきたが、これからの活動を通して、世の中から<老後>を無くしていきたい。」言われてみると、世の中には自分が置かれている立場を<老後>と感じている人、或いは迫りくる先の人生を<老後>と思い、それにどう備えるか真剣に考える人は多いだろう。特にお国から「後期高齢者」なんて結構な肩書まで頂戴すると、棺桶の近くに佇んでいるような気になりかねない。

経験からすると当時は意識してなかったが、所謂サラリーマン即ち人様からお給金を頂戴することが途絶えた時、個人で起業したのが63歳。一昨日そのことに話が及ぶと彼がしきりに褒めてくれた。確かに、人によっては会社を辞めた時からが老後と思う人もいるだろう。私の場合は蓄えがさほど無かったので、なにかしないと拙いなと思っただけである。何をするかは考えず、取り敢えず有り金をはたき300万円で有限会社を立ち上げてみた迄だ。

これが結果的には、そこそこの食い扶持を以来10年くらい齎してくれたのも事実。仕事の内容は極めて単純、ある社団法人のホームページを制作管理するだけ。自身の最大課題はこの仕事を誰に引き受けてもらうかだった。設立8年目くらいだったか、幸い素晴らしい技術系人材が見つかり、社長になってもらった。しかし好事魔多しの喩え通り、得意先の担当者が代わって受注が難しくなり、折角の代わってもらった社長が急死したりして経営破綻。その後数年は資本金を食いつぶしながら近くに事務所を構えていたが、これも手放し宿六に逆戻り。

その後は友人の仕事を手伝う条件で、友人の事務所にデスクは貰ったもののさしたる仕事にならない前に、2年前の平成29年の年末に家内が急死したので、家に戻って独居老人となった訳だ。要するに老後なんてことを考えている暇が無かったとも言える。現在も3度の飯に何を食うか、考えて準備し、食って後片付けすることに追われ、毎日が忙しく、3日位先のことは考えても半年先や1年以上先のことなどとても考えられない。よくよく考えると老後はこれからも無いかもしれぬ。

改めて京都の友人の思想に大いに賛同し、彼の活躍を期待したい。

2 件のコメント:

村松 光 さんのコメント...

私も暮れになって奥様のことを偲んでおります。例の三人組で食事をしましたが
「せんかわさんは寂しい上に、食事をご自分で作るのだから大変よね。」と異口同音に
言いました。私以外は寡婦でございますので、せんかわさんに対する同情も一層です。
でも老後なんて考えるヒマもないとは、たしかにそうですよね。
こちらは教会の用事と地域の役員とで日替わり外出続きのため、まだ大掃除に取りかかって
おりませんが‥‥

senkawa爺 さんのコメント...

村松 光 さん
コメントをいつもありがとうございます。
ま、いつまで続くか知りませんが、1日1日で仕方ありませんね。