2019年5月30日木曜日

国会図書館にて

先週の木曜日も良い天気だったが今日も本当の五月晴れ、都内に居るのが勿体ないくらいだった。かと言っても2週も続けて山には行けず、永田町の図書館で我慢した。有楽町線永田町駅のホームから地上までは、階段数で100数十段あるので高低差は20mくらいにはなるだろう。依ってこの昇り降りが足腰にとって良いトレーニングになる。

借り出したのは2011年発行の「日本人の叡智」、カウンターに届くまでデジタル画面で少し読み始めたのが「原敬日記」(大正3年版)、首相に就任する年のもの。これもなかなか面白そうだ。磯田氏の本は歴史上にあまり残っていない人の逸話を集めているので興味深いものがあった。既に江戸時代には数千万人の人が暮らしていた我が日本、数百人の領主によって治められていた封建時代、階級制も厳しかったろう。

そんな時代でも優れた領主や学者が結構いたようだ。先ず感心したのは領主の面々。そりゃ我儘な領主もいたろうが、一般的には領主と言えども容易なことでは務まらなかったようでもある。国持ちであろうと彼等の上には徳川家があり、そこに対する立場は臣下であって国を預かっている形だから、気を抜いて治世が乱れたりすると自分の命さえ危なくなる。

また民百姓と言えど何でもハイハイと言っていたわけでもない。一揆もあれば強訴もあったろう。話が少し飛ぶが、日本人の殆どが使うハンコ。これは昔年貢を集める庄屋が農民から年貢を集める際のちょろまかしを防ぐ意味で「○○は米1石、印」と押させたことから始まっているとのこと。財政の運営も容易ではなく、民を顧みず贅沢が出来て今様で言えばゴルフに現を抜かすことが可能だった藩は殆ど無かったみたいだ。

戦国時代の一般的世界観も面白い。当時の外国は天竺(インド)と唐(中国)だけ、インドは仏教によって統治され、中国は文による統治、そして日本は武による統治なので、領主は武士道を厳しくたたき込まれたとのこと。成程と思うことが多々あったなかで、最も印象に残っているのが筆者の人間観。人間は短い生涯で成し遂げることが出来るものは殆ど無い、しかしそれを受け継いでゆくことが大切ではないか。

江戸時代の儒学者の中には、自分の考えなど恥ずかしくて先の世に残すべきではない。として記録を自ら破棄した人もいたくらいらしい。そんなことを読むと、このブログの始末なんかも考える必要がありそうだ。

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