2017年12月15日金曜日

地位と役割

どんな組織であっても地位に応じた役割があることは誰もが知るところだ。社長には社長の、課長には課長の役割があって、それぞれが責任をもって役割を果たすことが求められる。逆の見方をすれば、社長は部長の役割を奪うようなことはすべきでない。これもよくあることで、上司が部下と競争してしまうような現象が起きることがある。私的な話になるが、飲み屋で上司の悪口を言って留飲を下げていたサラリーマン初期の頃のことだ。「馭者が馬とかけっこしても勝てるはずが無かろうに、なんて馬鹿な真似をするんだ。」

飲み屋で悪口を言っているうちはまだよかったが、それが25年間積もり積もって社長と衝突、結局会社を辞める羽目になってしまった。外国のことは分からないが、地位と役割に関しては小説や映画を観ている限り、日本より欧米の方がすっきりしているように感じている。馭者は馬の脚がのろいと思ったら鞭をくれるか、馬を替えればいいだけのことだ。日本では嘗て在籍した会社に限らず、往々にして馭者が馬と一緒に馬車を引っ張ろうとする経営者が出現するようだ。ちょっと見には美談めいて見えるが、欧米のマネージメントでは非効率の極みとされているらしい。

こんな話は何も中小のオーナー企業に限った話ではない、大企業にも起こりうるだろう。更に言えば霞が関の官僚組織や国の統治機構にしても、地位と役割が画然としていないようにも見える。極端に言えば日本中を見渡し、己の地位と役割を明快に理解できている人は天皇陛下だけかもしれない。国家を組織に例えるのは適当ではないかもしれぬが、似ているところもあると思う。天皇陛下には主権者である国民が「国の象徴」なる訳のわからぬ役割を割り振っている。どのように振舞うかは法律で規定している部分もあるが、大事なところは自分でお考えください、と丸投げしている。どこの組織も似たようなものだ、トップは自分で考えることを求められる。

陛下はこの無理難題をものの見事に受け止められて長年務めてこられた。このことに異を唱える国民はそう多くはあるまい。国民の負託と言いう意味で陛下の次に大きな役割を担うのは、いわゆる三権の長だろう。即ち、最高裁判事、衆参両院の正副議長、内閣総理大臣(副もいたかな?)となる。この数名は、せめて国民に名前ぐらい覚えてほしいものだ。恥ずかしながら名前を記憶しているのは衆議院議長と内閣総理大臣の二人しかいない(この他に官房長官の悪名も知っている)。上から見ると「お前は我々の名前も知らぬのか、無礼者めが!」かもしれぬが、である。

如何に議院内閣制、政党政治であっても、トップの地位に就いた人間は、全ての国民を平等に見る役割を意識してもらいたい。現代日本が様々な面で国際的に劣化していると思う一年寄りの儚き望みである。

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