2017年12月13日水曜日

日本語の難しさ

小学生の頃は夏休みの日記も書けなくて、近所のお姉さんに代筆してもらったりしていたほどの勉強と宿題嫌いである。通信簿の評価は良かろうわけが無い。算数よりは少しましな国語でも綴り方なんぞ全然苦手だった。それがこの齢になってブログを書いているのだからお笑い種だが、本人にしても悩ましさは半端ではない。相当いい加減なことを書き綴っているが、日本語の基礎が出来ていないので、読者の方には意味不明と思われることが度々のことだと思う。

思うに日本語は語彙が豊富すぎて却って表現が難しくなるのではないか。小生も意味が曖昧なままに好んで古めかしい言葉を使いたがる口だが、この手合いは語彙が少ない者に限るようだ。気を付けなくてはいけないと思いつつ、ふと最近はやりの言葉を思い出した。「国益」である。1億2千万人からの国民総てに利益があれば国益と言えるかもしれない。

では、アメリカから言われたかどうか知らぬが、1千キロも飛んで北朝鮮のミサイル基地を攻撃できる高価な兵器を買うことは国益か?そうだと言う人もいれば、俺は関係ない、或いはそうは思わないと言う人もいるに違いない。憲法改正にしても似たようなことだろう、自衛隊を違憲とする憲法学者が多いのは自衛隊に対して失礼だ。だから早いとこ憲法を改正すべき、が一方の意見。自衛隊は合憲と認められているのだから、今のままで良いではないか、とする人も多い。

後者の改憲絡みの話は単に日本語の問題ではないかもしれぬが、日本の最高法規の表現方法についての問題であるのも確かだ。これからは「愛国心」なんかも世に氾濫することになるのだろうが、兎に角日本語は難しい。ブログを書く際に難しい日本語にはなるべく近づかないことだ。昔は似たような言葉で「大義」とか「正義」をよく聞いたが、最近あまり使われなくなったような気がする。

「大義」には「国益」に似た意味合いがありそうで使いたくないが、「正義」の方は昔大分流行ったように思う。鞍馬天狗ではないが弱い者の味方が「正義の味方」で誰にとっても分かりやすかった。最近は「正義」の意味もあいまいなところがあり、使いにくくなってきた気がする。

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