2017年10月30日月曜日

中学校同窓会

土曜日の夕方、故郷の長野で卒業後初めての中学の同期会があったので出席した。卒業時は4クラスで、多分180人程度だったのではと思うが出席者は50名、男性がやや多かったようだ。半分弱は顔を見て誰か分かるし名前も思い出せるが、半分強は全く分からなかったり、顔を何とか思い出せても名前は分からない。或いは名乗られても、往時を全く思い出せなかったりした。

宴会が始まると自己紹介があったりしたので往時を段々と思い出して、とても懐かしく楽しい会だった。卒業時は15歳だから60年振り以上の人もいたわけだ。それにしても、中学生時代は似たように思っていた人生なるものがかくも個性的に分かれ、長ずるに及んで染みついた思想なんかも様々に分化したことを痛感した。我が母校は信州大学の付属中学校で、当時は知るはずも無かったが、他の市立中学校に比べると、やや先進的な教育が行われたらしいことが分かった。

当時は戦後の社会が未だ安定せず、親の都合で転校してきた者や転校して出て行った者が沢山いた。そんな人たちからそれに類する話を大分興味深く聞いた。その中の一人、中学3年生になる時東京に転校して文京区立中学に転校して両国工高から東大に進学した同級生の話「付属の教育は確かに進んでいた。」と証言していた。ここから、信州は昔から学問は重視する傾向があり、江戸末期には秀才を随分輩出している。ただ残念なのは総理になる程の政治家が未だに出ていないことに話が及ぶ。 

そんな話を横で聞いていた友人が「羽田孜がいるではないか。」と半畳を入れてきた。すると別の友人が「彼は勘定に入れられないだろう。」これで回りの友人たちがどっと笑って「やっぱり政治家の大物はいない」が結論になってしまった。何れにせよ、僅か50人と言ってもいろいろな人がいる。勉強ができた奴もいればそうでないのもいるが、今となればそれが全くと言っていいくらい現在の境遇に関係ないことだけは明らかだ。

60歳過ぎた老人の集まりは病気自と慢孫自慢に花が咲くと言われるが、77歳ともなるとそれは通り越して、男子の間では自分の終末への関心が高いことが会話から伺えるのも面白い。比較して女子は明るい。同い年なので伴侶に先立たれた人もかなりいたように記憶するが、そんな人は特に元気だった。中にお医者さんになった女性がいて「男性は奥さんに先立たれると哀れねぇ。」と話していたのが妙に説得力があった。

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