2017年9月24日日曜日

教育無償化

昨日はお彼岸のお中日、毎年のことで誠に申し訳ないことだがお墓参りもしないし、我が家には仏壇もない。ただぼんやりと在りし日の両親や両兄の姿を脳裏に思い浮かべるのみだ。両親は長命で共に90過ぎまで生きたが、兄二人が逝った年齢には既に達してしまった。昔は父親の逝った年齢まで生きるのが親孝行とか当たり前と聞いた気がするが、果たしてそうだろうか。自分本位に考えれば、他人様に迷惑かけずに生きているなら長生きするに越したこともないように思う。しかし、90過ぎまで生きた両親が本当に幸せだったのだろうか?

食物を自分の手で口に運べなくなってまで生きるなんてとんでもない。これは言うまでもないが、それまでに自立が難しくなっている年寄りになっていないだろうか。先ず経済問題、自慢にはならないだろうが年金暮らしだから、実態は人様に喰わして頂いている訳だ。医療費も1割負担はありがたいが、保険金積み立てとのバランスはどんなものなんだろう。多分子や孫への付け回しになっている可能性は大だろう。あまり深く考えたくもないが、その他にも考え始めれば既に若い人々に相当負担をかけているのだろう。

だから誰が言いだしたか知らぬが最近耳にする、社会保障費の配分を見直し、現在高齢者に配分が偏っているのを全世代型に見直す、との理屈は分からぬでもない。政治家が真面目に検討するのは大いに結構だ。だがしかし税金の配分を考える時、若者を勇気・元気づけ将来に向けて前向きに奮い立たせる要因はなにか。教育の無償化が筆頭に叫ばれているようだが、教育問題も大切かもしれぬ。しかし無償化は義務教育までに留めてほしい気もする。

国家国民百年の計を考えれば教育が大切なことは言うまでもあるまい。しかし子供達に教育の機会を無償で提供することで、教育の実が上がるとはとても考えられない。今の世の中では高等教育を受けたとする人間でさえ、己の体たらくであり、馬鹿が総理大臣になったりしている。教育の内容がおかしいのか、はたまた教育者の育成に問題があるのか、とても論ずる資格はないが、真剣に考え直さないと将来もっと酷い国になってしまいそうで心配でならない。

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