高級官僚不変の生きざま

終戦直後の一時期に、少し高学歴の青年の間で猛烈な勢いで流行ったとされる作家に三木清氏がいる。今で言えば村上春樹氏なようなものかな?この話はサラリーマン時代の先輩で、引退後に手作り同人誌「縦走」を発行されていて昨年亡くなったK氏から教えて頂いた。K氏は暦上一回り上で、終戦直後に豊島師範学校を卒業して教員を勤められたりした後に広告会社のクリエイターになられた。当時のインテリ青年の常で、共産党員であった時期もあったそうだ。

「縦走」を読むと三木清氏のことが度々出てくるので、興味が湧いて図書館で有名な著作「人生論ノート」を借り出して読んだ記憶もある。しかしブログの読後感に挙がっていないので、難しすぎたと言うことだろう。数日前豊島区立図書館に立ち寄った時、また三木清の名前が目について文庫本を1冊借りてきた。「三木清教養論集」である。目次をめくると、1.読書論2.教養論3.知性論となっていたので読み易いだろうと勘違いしてしまった。どうも大正から昭和の初めにかけては、大学生は全てインテリゲンチャ(知識階級)であり、故に言語力にも長け且つ哲学的思考をするのが当然とされていたようだ。

昭和34年に大学生の端くれになった身の実感からは程遠いので、またとても読後感なんぞ書くに至らぬこと必定である。第1章の読書論からして感覚が全くずれている。いろいろある中に「古典を読むべき」とする内容があるが、どうも三木氏が言う古典は本邦江戸時代以前の作品を指すのではなくて、ギリシャ・ローマ時代の作品を言っているらしい。正に「ご冗談でしょう」だ。それでも読み進むと、次章の教養論に興味深いことが書いてあったので、忘れる前にブログネタに貰うことにする。

<知識階級と政治>とサブタイトルが振られているが、我が国の知識階級の教養のうち最も欠けているのが「政治的教養」である。なるほど、と思うことが書き連ねてあるが、面白いのは官僚について言及しているところである。「ところで近来、官僚政治とか政治の官僚化が問題になっている。ところが官僚の大多数は政治的教養が全くなされていない。」

「東大法学部で高等文官試験合格者の大部分が官僚になるわけであるが、試験科目を見れば政治教養が無いまま卒業していくのは一目瞭然。官僚は技術者だから政治教育を施す必要なしでは済まぬだろう。」との趣旨が書いてある。ここで改めて、現代のことではない1937年に発表されたものであることを強調したいが、最近の国会を見ていると、80年前に警鐘を鳴らされたことが何も変わらず、目前に展開されていることに驚くばかりだ。

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