嘘つきの罰

アメリカでスパイの親分だったような人物が新たな政権で要職に就いたと思ったら、なんと電話を自国のスパイ組織か正規の法執行機関か知らぬが、に盗聴されて公開されたらしい。それが違法であったにも拘らず、上司のうその報告を上げたとの指摘をけて、あっさり要職を辞任との報道がある。盗聴の公開も不思議なら、違法の指摘も誰がしたのかよく分からない。

日本の実情と併せ考えると分からないことだらけではあるが、アメリカでは公職にある人間の「うそ」即ち虚偽発言は相当重大なこととして扱われるようだ。この認識に間違いがないとすれば、日本の国会程いい加減な茶番はない。政府答弁を聞いていると言いたい放題、嘘のつき放題で、それを誰も咎める者がいないではないか。質問する側に「うそ」を突き止めるだけの力が無いから仕方ない、と言ってしまえばそれまでだが。暫くして「うそ」がばれても「遺憾です」で終わりである。

何故アメリカではそれが通用しないのだろう?同様に思う人がどのくらいいるか分からないが、一寸嘘を言ったくらいで要職を棒に振るのは不思議に思う。ひょっとすると「釈迦の方便」を慣用句として頻繁に引用するくらいだから宗教感の相違だろうか。「嘘は泥棒の始まり」とも言うのだからいけないとはされているが、余程潔白性の人でない限り「絶対嘘はつかない」と断言できる人は少ないだろう。

たまたま昨日、図書館で終戦直後の古い図書を借り出して読んでみた。題して「戦争責任者の問題」著者は伊丹万作氏である。どこかで聞いたような名前だとお思いでしょうが、その通りあの伊丹十三氏の父上である。1900年の生まれで終戦の翌年1946年に46歳の若さで亡くなっている。よく調べると十三氏より優れた映画人で著名だったらしい。略歴に「シナリオに『無法松の一生』(三船敏郎主演でなくて阪東妻三郎主演のもの)『手をつなぐ子等』など。」とあってびっくりした。両方ともしっかり観ていた。

ともあれ、内容は非常に薀蓄あるものだったが、中にこの一文が入っている。今日はこの触りだけの紹介に留めよう。
「多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。」

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