2016年1月1日金曜日

年の初めに

右サイドに記されているアーカイブの年号によれば、このブログは2009年から書き始めているので今日から8年目に入ることになる。いつもと違うパソコンのせいか反応が悪くて確認できないが、恐らくこの間元日にブログを上げたことは無い筈だ。気分的に正月休みということもあるが、実質的にも過去7年以上前から、元日は伊勢神宮への初詣と決まっていて、帰りは夜遅くになるので、とてもそんな気分にならぬも事実である。

ところが、今日はこのようにブログのページを開いている。別にお伊勢参りをしなかった訳ではない。帰宅が4時前で明るいうちだったので、風呂に入ったり食事をしたりしてテレビでも見ようかと思ったが、観たくなるような番組が一つもない。NHK民放共によくもこんな下らない番組を揃えたものだ。恒例のお伊勢参りについても、記憶の薄れぬうちにてなわけで書留めようとの思いもあり、普段使いなれないノートパソコンを立ち上げた次第。

過去20回以上はお伊勢参りをしているが、いつも一人旅であった。今回は高校同期の友人が同行したいとの申し出があったので、二人旅になったのが初めてのこと。またここ数年は経済的理由もあって、団体のバスツアーに参加していたのだが、今年の秋に来た案内書の料金がまた値上げになっていたことと、少しバスツアーに疲れてきていたこともあって、新幹線と近鉄で往復して松坂で1泊する計画に変更していた。

友人から申し出を受けた時は既ににホテルの予約は済んでいたが、ホテルに問い合わせると、料金が少し異なることで良ければ予約を受けるとのことで、友人も納得して同行することになった。彼は修学旅行で1度伊勢神宮を見たことはあるらしいが、ほとんど忘却の彼方で初めてと思ってくれとのこと。彼が何を思ってお伊勢さん初詣を思いついたか聞きもしなかったが、当方に何も不都合はないので、その後の列車の手配なんぞは皆一緒に予約を入れた。

こっちも少しゆっくりした旅にしたかった訳でもあるが、彼も体の調子がそんなに良いわけではないので、ちょうど良い塩梅と言っては失礼かもしれぬが、少なくともこれまでになく参拝場所や立ち寄り先も大幅に減らし、タクシーもふんだんに利用したので東京駅に3時前に着いてしまった次第で、このブログを書く気になった。友人と往復一緒だったのでいろんな話をする中で、先ほどの「なんで思い立ったか?」を尋ねてみた。

彼曰く普段は奥さんと二人で温泉に行ったりしてゆっくりした正月を過ごすのが常らしいが、「今年は自分個人のこれまでの人生を振り返ってみたかった」とのこと。その気持ちは分からぬでもない。こちらの動機は極めて不純、「苦しい時の神頼み」だったが、彼の話と外宮に付随する「せんぐう館」(素晴らしい展示があるお伊勢さんの資料館とでも言おうか)で職員の伊勢神宮について説明を聞くうちに、過去を振り返ることの重要性にはたと思いが至った。

伊勢神宮では20年に一度、遷宮祭が執り行われることについて知らない人は少ないだろう。この祀り?は640年代持統天皇の御世から延々絶え間なく行われているそうだ。伊勢神宮は1500年を経た現代においても殆ど当初と変わらぬものらしい。解説者がうまい表現をしていた「伊勢神宮には日本人のデータベースが蓄積されています」穀倉を形作る神殿を尊び、20年ごとに神殿を新たにすることで技術の伝承を絶やさなかった。因みに材料はすべて国産で、玉のように見える光物も全て国産材料を加工して出来ている。

そんな説明を受けると、1500年も前から我が国の統治者は、国民の食料を確保することが国家安定の基礎であることを知り、国民と国家の平和を祈念し続けてきたのかもしれない。そのシンボルがこの伊勢にお宮だそうだ。これも皆知っているかもしれぬが、氏子は天皇家だけ。これもびっくりだったが、1回の遷宮に要する経費は約550億円(国立競技場を思うとなんと小額なことよ)で国家のお金は1銭たりと入っていないのだそうだ。これを聞いて、お守りを例年より2つも余計に買い込んでしまった。

小生のこんな下司な質問にも嫌な顔もせず答えてくれた職員(神職かな)には敬意を表したいし、この神域に改めて日本の原風景を見た思いがした。人間にとって改革も革新も大切かもしれぬが、守るべき原理とか原則を考えることになった年の初めである。

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