2015年10月4日日曜日

読後感「世界史の誕生」岡田英弘著

著者は奥さんの宮脇淳子氏と共に中国・蒙古・満州の古代から近代にかけての歴史に詳しく、図書館では何冊か読ませてもらっていた。我々と言うべきか私個人のことかもしれないが、中国・蒙古・満州の地理的、歴史的事実をどのくらい理解しているのであろうか。

中国と言えば司馬遷の「史記」を思い出し、秦の始皇帝の遥か以前から連綿と続く4千年の歴史を持っている巨大帝国。蒙古は中国の北方の外側に存在する国で、チンギス・ハーンの時代だろうか、西の方にもかなり勢力を拡大したことがあるらしいが、何と言っても広い草原で牧畜をしてきた民族だから、現在に至っては国家としての組織がどのくらい確立されているか疑わしい。

お相撲さんの供給源となっていることだけは有名だが、中国領内にある内蒙古と国としての蒙古の地理的概念すら定かではない。満州とは中国の東北地方の呼び名で、一時日本が独立させようとしたが、結局は元に戻って黒竜江省などと呼び名も変わり、現在では消滅した国である。ことほど左様にいい加減で、理解できていないこと夥しい。

読者の皆さんはこんないい加減な知識ではないでしょうが、少なくとも私の認識は全部間違っています。この本を読んで、間違っていると言うことは理解できましたが、中国・蒙古・満州の地理的、歴史的事実にどのくらいまで接近できたかは言わぬが花かも知れません。実は私は、昔から講談本で昔のお侍さんのことを勝手に想像したりするのが好きでした。同時に、大学入試の際の社会で「世界史」を選考したくらいなので、歴史は好きな方です。

そして歴史の基本は世界4大文明のメソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明にあると考えていました。日本文明は一番古くから勘定しても2675年(私が皇紀2600年生まれなので詳しく書きました)。黄河文明は4千年と聞いていますので、ここから人間が流れてきて起ったものじゃないかと勝手に想像していた訳です。

ところが著者の岡田氏は、この考え方が間違っていると仰います。この考えとは、世界史と日本史を、ひいては世界史と東洋史、西洋史なんて分けるのも日本だけのことのように言われます。歴史は文化ですからローカル文化とローカル文化が一致しないのは当たり前かもしれません。

世界史とはそれこそ地球を俯瞰的に見て綴られなければ意味が無い、と言われればその理屈も分からぬではありません。ヘロドトスが著した「世界史」司馬遷の「史記」はそれなりに世界を俯瞰的に見ているそうですが、その後本当の意味での世界史著述は無いようです。そこで、岡田氏がごく簡単に世界史を説明しようとしたのが本書であります。

ではこの世界史は西暦何年から始まっているかです。驚くべきことですが、日本で言えばもう鎌倉時代、1206年に紀元を置いています。この年にもうこの草原で、テムジンと呼ばれていた青年が、多くの部族を統合してその首領に納まりチンギス・ハーンとなっています。その頃ユーラシア大陸には中国なんて国はありませんし、ロシアもドイツもフランスも、その海の向こうのイギリスもありません。世界中に群雄が割拠していたのかもしれません。

岡田氏はこの年を基準に、(一部紀元前に書かれた史記とか聖書が書かれた時代なんかにも遡りますが)チンギス・ハーン以降東洋でも西洋でも徐々に国の形が現れてくる経緯を、何とか説明しようと試みています。氏に言わせるとそれ以降の世界の国家には何かしらチンギス・ハーンの血が流れているとのことです。言われてみれば、国家なんてものは昔からあったものでないことはその通りでしょう。

ユーラシア大陸からアフリカの北に起った殆どの国家に蒙古の血が流れていると言うのは、岡田氏の思い入れが強すぎて牽強付会かもしれません。しかし、チンギス・ハーンが世界制覇を成し遂げたのは、宗教に寛容であったことと地方自治を尊重したところにあったのは事実かも知れません。他に傍論で印象に残っているのは、古来から海洋国家が、経済効率の良さに優れて発展しやすかったと言うことです。

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