2015年10月28日水曜日

延命治療

昨日読んだ雑誌「新潮45」11月号に面白い記事があった。臨床医の里見清一氏が書いたもので、高価な新薬が次々に開発されるのは良いが、これに伴う医療費の高騰で国家財政が破綻しかねないとの警鐘を鳴らすものである。人間だれしも健康で長生きを願うだろうが、後期高齢者が更なる延命のために、効果の程がよく分からない高価な薬品に頼るのは如何なものか、との問いかけに共感を感じるところもあった。

氏が言わんとするところは、最近評判の高価ながん治療薬の中には効く場合の確率が3割以下なんてものもあるらしい。しかし一旦使い始めると「あなたには効かないみたいです。」と宣告するのが難しく、だらだら使い続ける傾向があって、これが国家財政における医療費補助の大きな要因になっているらしい。本論はそこにあるのだが、共感を覚えたのは他の個所である。氏曰く、医療を大別すると「延命治療」と「対処療法」に分けられる。

一般的な意味と異なるかもしれぬが、「治してしまう」治療(がんの手術、肺炎に対する抗生物質など)も延命治療の一種である。引き換え、「対処療法」は痛みや苦しみを除く手当を言うらしい。アメリカでは、75歳以上の人に対する延命治療禁止を提唱している有名な医者がいるらしい。それを引き合いに出して、後期高齢者が徒に国費を浪費して延命を図ることに疑問を投げかけていることに関心又は共感を覚えた訳である。

たまたま、後期高齢者の無料検診の結果が出たからとて掛かり付け医から電話が来たせいもある。友人の中には、面倒だから区の健康診断なんか受けない、と断言する人も何人かいる。小生は後期高齢者に突入した今年になってから、前立腺がんの治療で健康保険には150万円以上お世話になった筈だし、区の無料検診は以前から几帳面に毎年受けている。何だかんだと言いつつ、後期高齢者になりながら延命治療に相当依存している口だ。

しかし、如何に延命を図ろうと、身体の劣化は着実に進んでいるのも事実。特に先週のハイキングではその思いが強く印象付けられた。今日読んだ何かにもあったが、人間ピーク時には思いがけないパワーを発揮するものらしいが、盛りを過ぎた人間は幾ら力んでもパワーが出ないと決まったものらしい。分かっているつもりでいたが、本当は全く分かっていなかった。無駄な検診や延命治療はやめて、今後は対処療法に限るのも一つだろうが、どうもうまく割りきれそうにない。しかし、残す人生の生活態度については、改めて考え直す必要がありそうだ。

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