2015年5月22日金曜日

故郷も様変わりだ

世界中どこの国でも同じことかもしれぬが、日本も郷土色豊かな国であることは勿論である。狭いと言っても1億2千万人もの人が、地勢などに応じて一定の集団ある意味の共同体を形成して暮らしているのだから当然だろう。おまけに日本は南北に細長く、小さい割には地勢ばかりか気候なんぞも大きく異なる。海岸の地方もあれば険峻な山々に囲まれた地域もある。

生国は後者の北信濃の狭い盆地だが、東京に出て若い頃お世話になった小父さんがすぐ隣の越後は柏崎のご出身だった。現代の交通機関で行けばほんの数時間の時間的距離だ。この方が常々仰っていたことが今でもよく覚えている「不思議とも言えるが、朝夕馴染んだ風景と空気で、これほどまで住民の気質が違うのものだよ。」学生だった小生に対して「もっと勉強をしっかりしなさい。越後ののんびり屋と違って本来信州人とはそうある筈です。」と叱咤激励が続くので覚えている次第だ。

実はその頃もう勉強が大嫌いで、大学2年への進級が危うくなっていた。田舎の両親が叱ってくれと依頼したのだろう。従って後半の説教も効果が無かったが、<海に面した越後人はのんびりしている>についても腹の中で異論を唱えていたものだ。当時別のところでは次のようなことを聞いていた。東京の風呂屋に越後出身の人が多いのは越後の人は働き者が多いことに他ならない。越後の冬は厳しいので、誰もが終日働くことを厭わないのだ。

今でも小父さんよりこちらの思いが正しいと思っている(笑)。信州人は冬中炬燵を囲んで野沢菜を摘みながら茶を啜り、くだらぬ議論ばかりしている。越後人は現代でも雪下ろしに終日追われているではないか。それこそどうでもいいことだが、風土の違いで住民の気質に違いがあるかもしれないが、少なくとも食物には大きな違いがあっただろう。過去形で書いたのは現代では、その違いが段々薄れ、折角の郷土色が失われつつあるようで残念に思っているからだ。

ことの善悪は別にして、東京には日本各地は言うに及ばず世界中からの食物が集まり、食いもの屋のバラエティーも数えきれない。外来の食いものは東京を席巻すると次第に全国に展開していく。スターバックスなるコーヒーショップが最後の処女地鳥取県にオープンなんてことがニュースになったりする。その東京に長年住んで言うのは烏滸がましい気もうするが、何でも全国一律は少し残念でもある。

地方にはその土地に昔からあるコーヒー屋さんがあれば十分ではないかなぁ。故郷の長野市にスタバがあるか否かは知らないが、高校時代からあったコーヒー屋が昨年ついに店を閉じた。東京でも同じことで、近くのお店は次々に姿を消し、スーパーとコンビニと居酒屋チェーン店だけが生き残っていく図式は、言っちゃあなんだが、面白くない。経済の効率なんかを考えると、そうならざるを得ないのかもしれぬが、政府の政策がその傾向を促進していることも否めないだろう。

最近は又「地方創生」なんて大層な掛け声をあげて、政府が地方経済を活性化することに力を入れるとのこと。何をするか知らぬが、どうせ碌なことにはなるまい。小さな親切余計なお世話だ。これから今夜の同窓会で出掛けるので、ふとそんなことを思いついた。

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