2015年5月14日木曜日

国民感情は大きく割れているだろう

今月10日発売の文藝春秋6月号に、天皇皇后両陛下が先月訪問されたパラオ諸島への慰霊の旅について、随行した当時(5月1日付で退官したばかり)の侍従長川島裕氏がその計画から当日の随行詳細を書いている。訪問旅行そのものは逐次テレビでも報道されているので概略知ってのことだが、両陛下の過去の戦争に対する深い哀悼の念については改めて読者の心を打ったことだろう。
両陛下が度々赴かれる被災地への見舞にしても同じだが、何処に住もうと何をする人間であろうと、全ての日本国民に対する公平な思いやりの心遣いには心からの敬意を禁じ得ない。

これは一見簡単なようでもなかなか難しいことのようだ。比較するのも可哀そうだが、歴代総理などの被災地視察や、戦没者慰霊祭などでの態度や式辞を比べると、自ずから見えてしまうと言うべきか、分かってしまうことだろう。このような現実があるので、国民の側から両陛下を見る目も大方は愛情に満ちたものである筈だ。畏れ多くて世論調査の対象にはしにくいのだろうが、実際に調査が出来たとして敢えて仮説を上げれば、現憲法下の天皇制維持に賛同する率は90%を超えても不思議は無い。

歴代内閣の出来不出来や、支持不支持には様々な変動があって当然だが、象徴天皇はどうもその上に置かれた重石の感が無くない。憲法の法律解釈でいけばどうなるのか知らぬが、内閣は国民が選挙で選んだ人間で構成されている。従って、ここが国家の最高権力機関であり、象徴天皇がその上に重しとなるなんてことはあり得ない筈だ。しかし天皇制の無い日本を想像すると、ぞっとすると言おうかどこか居心地の悪さを感じてしまう。例えとして適切かどうか疑問があろうが、憲法9条も天皇制に似ていると思う。

現政権はこの9条に手を付けたい意向のようで、実質的には手を付けて解釈改憲をしている。憲法9条に関して国民の間にはいろいろな考えがあると思う。しかし実質的には相当な軍備を持ちながら、世界各国から平和国家として認められ、軍事行動に引きずり込まれずに済んだのはこの9条の存在によるものではなかったろうか。唯一の同盟国であるアメリカの強い意向があったにせよ、これに手を付け始めたのは、例えは悪かろうが天皇制を否定するような感じだ。

もとより、内閣の権力は国家を支配するもので、天皇の意向なんかまるで関係ないのも事実だろう。しかし平安末期から鎌倉、室町、戦国時代でもあるまいに、よくもしてのけたものだ。現政権と似たような保守政権が続く限りは、天皇制も無事だろう。むしろ天皇が政治利用される可能性の方が高くなるに違いない。今上陛下の胸の内は痛いほど国民に伝わってくる。権力を持たない方のことだから、過度に有難がってはいけないのも承知で書いている。

何処でも同じことらしいが、国家の重しが外れるとお決まりは内乱、現在世界中の紛争の殆どがこれだろう。リビアのカダフィやイラクのサダムフセイン亡き後の現状を見ればよく分かる。今後我が国のある人間が非常に偏った政権運営をする時、何かの拍子で内乱が生じないと誰が保証できるだろう。現在の自衛隊の中にでさえ、ドローンを総理官邸に飛ばすことを考えた人が居た。そんなことは兎も角として、国論が大きく2分している時の政権運営は難しいものだろう。

そんな時こそ、慎重かつ丁寧な国民への説得が必要な筈だが、現政権にまともな日本語を話すことができる人間が皆無に等しい。少しは陛下の言動を真似ることを薦めたい。そして思うのは、先の大戦の終戦時にマッカサー占領軍総司令官が、内外の反対を無視して天皇の責任を問わずに天皇制維持を貫いた賢さだ。占領軍の被害を極小化するためとの極めて利己的判断であったにせよ、日本人の一人として改めて感謝したい。

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