2014年1月17日金曜日

古い人間関係

フィリピン・ルバング島に30年間任務を続けた元陸軍少尉の小野田寛郎さんが享年91歳で亡くなられたとのこと。氏が発見されたのが1974年だから、もう40年も昔のことになる。同年3月12日の16:15からNHKで放送された報道特別番組「小野田さん帰国」は視聴率45.4%を記録したとされている。当時は残置諜者という言葉が流行り、上からの命令を忠実に実行した氏は、旧日本軍で対米戦争を戦い続けた最後の兵士であったとして、日本中が認めて賞賛していたものだ。

当時を思って感慨深い人は、私より上の世代には大勢おられるだろう。実は個人的に相当に感慨深いものがある。氏の帰国が3月だったすれば4月10日発売の月刊「文藝春秋」だったと思う。発見者の鈴木紀夫青年(この方も若くして亡くなった)の手記を活版モノクロ100頁前後で大特集を組んだ。予想外の大増ページである、原価が膨らんでも雑誌の売価は変えることが出来ない。当然の帰結として想定外の広告スペースが組まれ、3日と置かずにこれを売り切らなくてはならない。正確に記憶していないが、総額500万円だった。責めを負うのが文春社内では広告局となる。

広告のサイズはいろいろだったかもしれぬが、何十本のスペースをばらして売っている暇がない。月刊誌広告を担当する部員の一人が、私の勤務する会社に跳んできた。これもうろ覚えだが、我が社は文藝春秋社のすぐ近くで、それまでも食ったり飲んだりの関係があったからだったか。何故か電通や博報堂の大手より先に情報を貰ったことになる。兎に角早い者勝ちだから、一発で決めるクライアント1日か2日で探してくれ。電通と博報堂にはこれから説明に行く。
とのこと。

思えば、当時はこちらも若かった。33歳の終り頃だから本当の働き盛りだ。広告会社の営業で、今で言えば課長ぐらいのものか。部下達も元気で勢いがあったし、ラッキーもあった。我が社で、このスペースを1社に売り切ることに成功した。勤務していた会社にとっては出来過ぎの金星だった。個人的にも、このやり取りのお陰で、情報をもたらしてくれた文藝春秋社の営業担当とは凄い仲良しになって、今に至るも友情が続いている。

現代の業界人から見れば、びっくりするほどの事ではないかもしれぬ。しかし40年前、弱小広告代理店の1営業マンであったので、強烈な印象として残っている。大体人間なんて仕事、仕事、と言ってもそう大したことが出来るものでない。50年以上広告営業をしてきたが、未だに記憶に残る仕事なんて、精々5指を少し超える程度のもので10指にはとても及ばないだろう。そして記憶に残るのは、仕事の内容より共に携わった人間のことばかりだ。

それも、後でどこに飲みに行ったとか、ゴルフに行ったとか遊んだことばかりだ。人間関係とは不思議なものだ。兎も角小野田氏の冥福を祈ろう。合掌

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