2013年8月7日水曜日

先祖の霊

今月はお盆の月、我が存在は両親や更にそのご先祖が居ればこそだ。昔はそうでもなかったが、最近は彼岸に近づいてきているせいか、ご先祖の眠る墓に線香の1本でも上げないと、ちと目覚めが悪い。彼岸に渡った時に叱られそうな気がするのである。今年は春に墓参りをしたのでさぼろうかと思ったが、日帰りで線香を上げに行く決心をした。普段親の言いつけに背いた事ばかりしているので、せめてそんなことぐらいはしないと罰が当たりそうだからである。

日本人の宗教観を言えばどんなことになるのか知らないが、少なくとも小生の場合、「盆」と呼ばれる宗教儀式は親子の絆の再確認のようなものである。従って両親やご先祖様に対して、生前同様我を見守ってくれと依頼する気持ちはあっても、神と崇めるつもりはない。まして彼らは既に彼岸に渡ってしまっているのだから、魂を慰めるという話もピンとこない。仏様方は何の不自由のないハッピーな環境にいらっしゃるのだから、慰めたり助けてもらうのはこちらの側だと極めて手前勝手な解釈なのである。

とは言ってもこれは極めて個人的な話で、世の中には故人の最後にあたり、霊を慰めきれない程悲惨な最期を遂げられた方がおられるのも事実である。典型的なのは戦争に駆り出されて亡くなった方々、無念のうちに戦禍に倒れられた人々である。これらの方々に対しては、永遠にその霊を慰める責任を誰かが負うべきだろう。誰かは言うまでもなく死に追いやった責任がある「日本」国家そのもであることに異論はあるまい。

慰霊の形はいろいろあるのだろうが、国家としての慰霊方法を何時まで経っても決めらない我が国は本当に情けない。これでは不本意な死を遂げられた人々がいつまでたっても浮かばれず、その霊に対して不敬の極みとも言える。たまたま現内閣の総理と副総理はクリスチャンと漏れ聞いている。日本人としては比較的少数派の宗教観をお持ちの筈。戦没者慰霊に関してきちんとした問題提起をして、方向を決めることが出来れば、アホな経済政策を帳消しにして褒めてあげる。

更に付言すると、残る凡百の国会議員さんたちに言いたい。8月15日に靖国神社に徒党を組んで参拝するのも結構。靖国神社で何に思いを致すか知らないが、むしろ全議員が6日と9日に広島と長崎まで行って、慰霊碑の前で手を合わせて亡くなられた方に思いを致したらどうか。昨日の広島慰霊祭にアメリカから映画監督のオリバー・ストーン氏が参列、「死者の行列が見えた」と語ったらしい。

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