2013年8月28日水曜日

我が山遊び


日曜日から昨日まで又山遊びに出かけたものの、何の罰か知らぬが天気に全く恵まれず、何とも感動の乏しい山歩きになってしまった。出かけた先は深田久弥の百名山にも挙げられている南アルプスの鳳凰三山、北岳に登った時にかなり綺麗に見えていたので、眺め返すのも一味あるべしとの思いで行ったが何のことはない。単純に歩行練習してきただけの感無きにしも非ずである。

やはり小生にとっての山の楽しみは「いい空気を吸って雄大な景観を望み、これをもって浩然の気を養う」。これは父の遺言と言う訳ではないが、子度の頃よく聞かされた言葉で、近くの山に遊びに行くとき「いってらっしゃい」代わりにいつも聞かされていたような気がする。遊びが少なかった時代に親とすれば、子供同士が近くの野山をほっつき歩くことは、奨励できる数少ないリクレーションだったに違いない。

64歳になって急に思い出したように山歩きを始めたが、やはり父の言った言葉が頭に刷り込まれていたのだろう。「只で行ける山は近くに沢山あるから大いに行ったらよい。但しお金がかかるような山歩きはいけません、もしどうしても行きたいなら、山は無くなりはしないから大きくなって自分のお金で行けるようになったら行けばいいのです。」

段々この言葉がインパクトを持ち始め、お金のかかる山の代名詞、アルプスの聖地とされる上高地に生まれて初めて入ったのが2006年9月となっている。
今から8年前の66歳の時になる。以来山に行ったのは約90回(61歳から勘定すると104回)、1年平均にすると10回以上は登山とスキーをしている勘定になる。親のお金でなく皆自前であるのは勿論だが、子度の頃と変わらずよく遊び歩いたものだ。

昔から誰の役にも立たぬつまらぬことばかり好きで困り者だったが、年をとっても三つ子の魂か知らぬが相変わらずだと自分でも思う。たまたま今回、遊びにしてはやや感激の薄い山歩きになってしまったことで、こうやって来し方を振り返る気になった。思うのは子度の頃から行きたい登ってみたいと思っていた山は殆ど行くことが出来たことが先ず第一番。

次に思うのは段々難しい山にも行くようになってきていること、ある意味で身体条件(劣化)に反比例する行為で危険であること。今月初め南アルプスでも難所とされる聖岳に行った時、非常な幸運だと思うが、たまたま親切な人に巡り会って無事目的を果たすことが出来た。今回も全く同じである。同じ人の誘いを受けて同行させてもらったが、気象条件が悪かったので一人だったら遭難していた可能性も十分ある。

濃霧の中で道標を見失い迷いそうになって、同行者に助けてもらったのは2度や3度できかないだろう。特に南アルプスは登山道が厳しく、崖登りの要領を得ないとクリアーできない道が多いのに加え、登山者が少ないので北アルプスに比べると一寸した事故でも危険性が高い。何れにしてももう単独行は無理だろう。何よりも今後はもう3千メートル級の山を目指すことを止める時期に来ているような気がしてきた。

今回の山歩き詳細は下記をご参照ください。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-338646.html

0 件のコメント: