2013年8月22日木曜日

幸福感

一昨日我が家のテレビ受像機買い替えについて書いた。昔、広告会社の大阪支社勤務時代に全盛期の松下電器を知っているので、同社の製品が量販店の目玉商品になっていることに、栄枯盛衰の哀れを感じてしまった訳である。今日は懐かしい歌手の藤圭子さんが自殺したとの報道もある。何が原因か分からないが、経済的原因は考えにくいのではないだろうか。娘さんの活躍を考えただけでも、お金の不自由は無さそうに思えてしまう。

企業と個人を同列に論ずるのは大分無理があろうが、これ以上ないほどの幸福感は、これを長時間維持することには無理がありそうだ。そもそも幸福感は個人的なことで、具体的にどんな気持ちかを書くことさえ難しい。何処かのコマーシャルに「お前の夢は金で買えるのか?」と偉そうに説教した上司を、部下が宝くじの売り場に発見する、てな皮肉が利いた設定があった。しかしお金が無くて幸福になれる人は稀有ではないか。

勿論小生だってお金がまるきり無ければ幸福感なんかとても抱けない。幸せとは難しいなと思っていたら、たまたま今日ネットで面白いものを見つけた。中部大学武田邦彦教授のブログからである。氏は元々原子力科学者で原子力発電を推進してきた人だが、311以降宗旨を換えて脱原発論者になっている。それと、炭酸ガスによる地球温暖化説には311以前から否定的であるので、友人から氏の論への傾聴を薦められていた。
http://takedanet.com/2013/08/post_e56a.html

詳しくは上記URLで、氏の語りを聞いてほしいが、幕末から明治初期にかけ英国からやってきた公使オールコック氏の日本の農村描写に添えられた一文である。曰く「気楽な暮らしを送り、欲しいものも無ければ、余分なものもない」
武田教授に言わせると、当時の欧米社会から見ると、日本の統治機構は羨むべきものがあったらしい。下々の民が満足して幸福感に浸っていたとすれば、そう思うのも当然のことだ。

我が身を振り返って思う時、年金以外の収入が無くなり不安を覚えることは大いにある。しかし無い物ねだりをしても始まらない。「大体何が不足で金の乏しいのを嘆くのか?嘆いてみたとて、既にお金が入る道はしっかり閉まっている。」気楽になれるかどうか分からないが、幕末のお百姓さんの気持ちになってみることにしたい。福一の新たな事故(水漏れ)に関して東電や政府を非難しようと思ったが、全く別の話になってしまった。

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