2013年8月13日火曜日

理屈と膏薬

どんなところでも張り付けられるのが「理屈と膏薬」だそうだ。日本は憲法の解釈一つとっても様々な理屈があるとされる。自衛隊の存在が典型的で、憲法で戦争放棄し、そのための手段を持たないとした条文との矛盾を、屁にもならない理屈を張り付けごまかし続けている。兵員、装備共に立派な軍隊でありながら「軍」とは呼んでいないし、日本が侵略の危機に際してのみ防衛力を発揮(専守防衛)するが、以外には決して戦争することはないとしてきた。

これが屁理屈であることを知らない国民は一人もいないだろう。むしろ外国の方がこの理屈を真面目に受け止めているのかもしれない。1990年国連決議に基づく湾岸戦争の際にも、この憲法解釈にのっとり自衛隊派遣についてはご勘弁頂き、資金協力だけで許してもらった。戦争終結後に出されたクウェート政府の感謝を表する新聞広告に日の丸が掲載されなかった、てな自虐めいた話はあるが、この行為に外交的非難が集まったとは聞いていない。

これで自衛隊とは世界的に認知されたようなもので、先人の知恵による見事な理屈だと思っている。主権国家が自らを守る軍隊を持たないなんてあり得ない。一方で他国との紛争に軍事力を行使しないことも、ある意味で立派な見識だろう。おまけに米国との間に日米安保条約があるので、日本憎しと思う国があっても、手出しをすれば後ろの米国を相手に厄介なことになることも天下衆知のことだ。この条約が非対称条約で、アメリカが攻撃されても日本は手出し無用の代わりに、日本国内に米国軍の基地を提供することになっているらしい。

難しいことは分からぬが、先人は先の敗戦までの経験を踏まえて新たな憲法を作り、その後の世界情勢変化の中を、理屈をひねり出しては憲法を守り、平和を維持してきた。この68年間、新しい国家が幾つ生まれ、幾つの地域紛争、戦争があったか知らぬが、その数は半端ではあるまい。その中で少し間違って戦争に加担しかかったことが全くないとは言えぬにしても、概ね平和で経済的繁栄を享受出来たことについて、先人の叡智に改めて感謝したい。

しかし最近の政治の動きを見ていると、「憲法」についての議論が喧しくなっている。やれ日本語としておかしいとか、自衛隊の存在が憲法に矛盾しているとかである。若い人の純粋な気持ちとして、曖昧さが許せないのだろうか?健気なものと褒めたい気持ちもあるが、如何に国家の基本法であるにしても「憲法」が目的であろう筈はない。目的は飽く迄国家の平和と繁栄である。集団的自衛権についても、従来の憲法解釈「権利はあるが、行使できない」は確かに論理的には屁理屈であろう。

政権によってこの解釈を変更することには何の違法性が無いとのこと。しかし、60年以上拘ってきた理屈を、正論めいたことでひっくり返すのは良いが、失うものの大きさに思いを致すのが叡智であろう。

0 件のコメント: