2013年3月3日日曜日

性格自己分析

昔から他人様からも言われるし自分でもそうだなと思っている事がある。生来の「オッチョコチョイ」「ガッテン太郎」「慌て者」。何でも思いついたらすぐにやらないと気持ちが悪い。勉強や仕事であれば褒められる場合もあるだろうが、勉強なんぞは先ず思いついたことが無いので困ってしまう。先週高校の入学試験を愛かった孫が「高校に行ったら部活はやらずに勉強をしたい」と婆さんの実家に行って婆さんの母親の前で宣言したとのことで、皆びっくりしている。

何をするにしても取り掛かりが悠長すぎるのもどうかと思うが、ある程度段取りについての見通しを立てないといけないことが少しずつ分かってきた。トゥーレイトの感無きにしもではあるが、年のせいもあるだろうが、したいと思う新しきことは殆ど無いのが実情だからだろう。数年前から携帯電話の端末が進化して携帯パソコンになっていることは何となく分かっているが、どうして興味が湧かない。ブログを毎日のように書いているのにと不思議がる友人もいるが、ネットに携帯でアクセスする気にならない。

先日友人から小生の骨董品のような携帯電話にメールが来たのでびっくりしてしまった。携帯のアドレスを教えてあるのは従妹とめがね屋だけかと思っていたので、どうやってアドレスを知ったのか心配になってしまった。しかし聞くと簡単な話で、どんな携帯にもショートメールなる機能が設定されていて、電話番号が分かれば簡単なメールが送信できるらしい。少し前だったら早速使い始めるところだろうが、こちらかショートメールを送信する気にはなりそうにない。

少し次元の違う話になってしまったので話を戻す。実は慌て者癖を意識的に治したいと思っているのである。自分の性癖を改めて考えてみた。勝手な結論だが、どうもこれは欲張りから来ているのではないか。<早くしたい>とか<沢山したい>気持ちが根底にあるからいけない。ここまで来ると、いくら急いでも、沢山したいと思っても出来ることは知れている。

これを意識しだしたせいかは少し疑問だが、お金が減り健康が劣化の一途なのに、このところ囲碁の成績が少し良くなっている。囲碁の場合は相手があるので、少し前まではどうしても相手より多くとか、スピードを上げる気持ちが出てきたものだ。ところが最近多くは望まない気持ちになる時がある、相手と五分であれば十分と思えるようになってきた。すると不思議な事に碁盤が少しずつ大きく見えてくる。囲碁を知る人にとっては当たり前のことらしいが、同じくらいの棋力の人同士の場合、一見勝ちすぎていると必ずどこかで破綻が生じている。

そんなことがやっと少しずつ分かってきたのかもしれない。このところたまたまで、地金がすぐに出るかもしれないが。兎も角あと何年健康で生きられるか分からないが、新たにしたい事は殆ど無い。遊びであれ、食いものであれ、何事も少しずつ欲張らずに時間を掛けて楽しむことを心掛けたいものだ。

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