2013年3月10日日曜日

読後感『「原発事故報告書」の真実とウソ』 塩谷喜雄著

昨年来原発事故調査委員会が政府と国会別々に設置されたことに強い違和感を覚えていた。国会の事故調については時折ネットで途中経過を見たりしていたし、分厚い報告書が出たことは知っていた。しかしその結論がどのように国会で活用されたかについては何も知らされていない。と言うより、野党が中心になって起ち上げた調査会にも拘らず、結局国会ではこの調査結果を何も生かしていないと言うことであろう。

政府が起ち上げた事故調については、政権自体が崩壊したので当然かもしれぬが、何のための調査だったかと言う意味では一緒のことである。本書によれば事故調はこの他に民間事故調と東電事故調のの二つがあり、それぞれが既に分厚い報告書を作成、公表している。著者はこの4件の報告書を完全に読破して、内容を吟味比較してみせる。著者は元日本経済新聞の科学記者だけに、素人である私にも非常に分かりやすく、考えさせられるところが多かった。

新書版で読みやすい割には内容的に多くの示唆に富む素晴らしい著作である。
4件の報告を読み比べて先ず指摘しているのは、同じ事象を分析しても全く異なる結論が引き出されていることが結構多いこと。検証の手掛かりになるべき殆どのデータ大部分の出所が、どの委員会でも東電に頼らざるを得ない事情にあったこと。東電は先日も国会事故調に対して、嘘をついてまで4号炉の立ち入り調査を拒否したことが明らかになったように、都合の悪いデータを提供していない可能性を否定できない。

この情報源の問題点は深刻で、著者は東電の無責任な企業文化を厳しく糾弾している。冒頭に4つの報告について5点満点で格付けをしているが、国会事故調が3.5、政府と民間が3.0、東電は評価すべきところはゼロで-1としているほどである。各論に於いて述べているところは、今回の事故の本当の原因がどこにあったかについてであるが、どの報告も結局断定するには至っていないし、津波が主原因とする一般的評価については、国会が事故調が書いている地震による被害を高く評価している。

しかし評価が比較的高い国会のそれでさえ、日本の原発が抱える地理的、構造的、社会的特性の問題点に踏み込んでいないことに大きな不満を持ったようだ。どの報告書も、誰それの責任と言う点については意識的に明確化することを避けている。著者にはそれも大きな不満であったに違いない。最後に章を設けて「アカデミズムとジャーナリズムの罪」を論じている。調査結果ら浮かび上がってきた菅政権と東電のやり取りの事実については認識を新たにすることが多い。メディの安易な報道姿勢についての糾弾も厳しい。

四つも報告書がありながら、今後のエネルギー政策に対して資するところが殆ど見られないことに対する苛立ちが伝わってくる。事故原因が解明されないまま原発再稼働に向かおうとしている我が国の空気に大きな警鐘を鳴らす書である。たまたま反原発の集会を手伝う日に読んだので感銘を覚えた。

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