2013年2月6日水曜日

尖閣周辺の報道

我々の一世代上の先輩は戦後アプレゲール(戦後派)と呼ばれ、戦争を知らない連中には困ったものだ、と更に上の先輩たちから非難されるのが常だった。当時の我々は当然人間の勘定に入っていない丸きりの子供である。それでも戦後10年くらいの間に親たちが舐めていた苦しみは、子供心にも深く刻み込まれている。同世代の人間全てではないだろうが、個人的には何があろうと戦争はいけないとの確信を持っている。

少し前までは勝てる戦争ならしてもいいか、ぐらいに能天気なことを言ったりしてたが、勝負の世界で絶対勝てるなんてことはあり得ない。戦争を経験した人が口を揃えて仰るとおり、どんな事があっても戦争はいけない。昔から平和ボケと言われるほど、日本人の大多数は戦争=絶対悪に近い思想で戦後半世紀を過ごしてきたと思う。個人的にも戦争とか闘いという言葉に近づかないようにしていたといっても過言ではない。

しかし、東西冷戦構造が終焉を迎え、バブルの頂点を極めて21世紀に入った頃から、どうも雲行きが少しずつおかしくなっている。思い返すと、21世紀初頭(2001年9月11日)に発生したアメリカ同時多発テロ事件をきっかけに、当時のブッシュ大統領が始めた大義のない戦争に、我が国では小泉政権が無批判にものこのこついて行ったあたりから始まり、最近では戦争とか闘いましょうといった言葉がやたらに多くなってきたような気がする。
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」喩え通りではないか。

世代が入れ替わってしまっているのだから熱さは最初から知らない訳だ。仕方ないと言ってしまえばそれまでだが、国民をリードする立場の人間は、歴史を真面目に勉強して、先輩が諸外国とどのように向き合い、後世の何を憂い、何をしてきたかを先ず知るべきである。これがまるで分っていないような発言が多いのでゾッとする。その意味で外務省、外務大臣の役割は大変重い筈。ところが最近の外務大臣は小者と言ったら失礼かも知らぬが、殆どアメリカのメッセンジャーにしか見えないのは小生だけか?

防衛庁が内閣から分離して防衛省に昇格したことに文句を言うつもりもないが、これが戦う自衛隊になるための第一歩だとしたら大問題だ。少し前までは、自衛隊が話題になる時は「専守防衛」が必ずセットになっていた。これが最近はあまり聞こえてこない。東シナ海の問題でも、勇ましい発言がコメンテーターの口から出てきたりしている。大衆受けはするだろうが、外交は国内の大衆から喝采を浴びて気分を高揚してもらったのでは、危なくて見ていられない。

最近年寄りの効用について何回か触れているが、同じ年寄りでも石原慎太郎氏みたい方もおられるので、内心ハラハラしている。

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