2013年1月12日土曜日

「心のノート」復活

前政権が廃止した道徳教育の教材を復活させることになるらしい。これがどんな内容か知らないが、現場の先生方は大きな迷惑であるに違いない。一体道徳なんてもの、本を読んで覚えたり、試験の対象にしたりするものでないことぐらいどうして分からないのか。毎度総理の悪口になるが、子供がいないから教育の何たるかを経験もしていないし、ご自身本当に頭が悪そうだ。どうせ先祖がえりするなら、明治23年に発表された教育勅語(儒学者元田永孚の起草と言われている)でも暗記させたらどうだ。

レトロでおどろおどろした雰囲気が好きみたいだから丁度いいではないか。今の小中学生を近くで見たり、テレビのインタビューなんかに答える子を見ていると、アホな政治家より遥かにしっかりしている子が多い。都立の中学に通っている孫の話では、確かに隠れて煙草を吸っているような子もいるし、一部生徒は相当荒れているそうだ。我が孫はまともだと思うが、読本からではなく、周囲の現象を観察して自ら考えるか、周りの大人に聞くか知らないが、善悪の判断は着実に身に着けて行ってると思う。

少し関連する話、大阪の高校でバスケ部の指導教授の暴行に耐えかねた生徒が自殺した事件。校長や教育委員会の会見は一応あったが、全く意味を成していないのと感じた。校長も教育員会も終始生徒の気持ちには全く寄り添っていないことがありありだ。肝心の犯人が謝罪に出てこないのも大いに不満だ。生徒の道徳教育の前に、教師の道徳を如何に教育するかが問題ではないか。この暴力教師は20年以上同じ高校に奉職したまま放置されていた。

校長が代わっても、自分の方が古顔で、しかも強いバスケ部を率いているこを鼻にかけ威張りくさっていたに違いない。恐らく、この方法故に強いチームになったのだと、本心からの反省はしていないだろう。こんな奴はとても教育者とは言えまい。単に己の宣伝のために学校と生徒を利用しているだけのこと。一方の校長以下多くの先生は教育者から官僚に成り下がり、信念より前例を優先したり、領域以外のことについては見ざる聞かざるを決め込んでいる証拠だ。

橋下市長が1千万円でも予算を付けて悉皆調査に及ぶと言っているが、どんな調査をすると言うのだろう。教師の側をどんなに調査しても暴力教師は見つからないだろう。話が「心のノート」に戻るが、色刷りの読本なんか配るより、生徒全員に白紙のノートを配って、毎日日記みたいものを書かせ、クラスの担任が毎日それに目を通すようにしたら少しはましだろう。教師がレポートなん書くより、生徒一人一人と毎日きちんと向き合うことこそひつようだ。教育に関しては全部婆さんの意見。本当のところ小生は全く口出す資格は無い。

役所は何かと言えば調査と統計になる。教育は統計から生まれるヒントは少ないだろう。生徒が30人いれば、一人一人の違いをどうやって的確に把握するかが教師の使命だと思う。机上の空論を並べるばかりの霞が関と永田町住人にはうんざりである。

5 件のコメント:

kiona さんのコメント...

心のノート
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/doutoku/detail/1302318.htm

これは中学生版ですが、あと小学生版が2つほどあるようです。


正直、これを配ったから何だ?と思います。とんちんかんな押しつけを政権奪取のトロフィーとでも考えているのか。

それより学校というのは、給食は昔よりはるかに美味しくなったけど、IT化はまったく進んでいない。これを開拓すると相当な景気刺激策になるのではないかと。

たとえばうちの娘は毎日重い鞄を持って登校するのですが、一部の教科書は学校に置いておくとしても、自分が持ってもずしっと重い。仮に教科書がクラウドになって、iPadのようなツールでいつでも開ければ。

あるいは毎日、数枚の連絡プリントが配られるのが常で、それらは即時ゴミとなってしまう。これだってHPにお知らせとして書くとか、メール配信等でペーパーレス化、効率化できる。

風邪を引いて休むというときも、いまだに朝学校に電話するのが、誰も出ないことが多い。これもメール等で一報できるようにすればスムーズ。


バスケの男子の事件で思うのは、自分たちの頃から学校は本質的に何も変わっていないということ。どういう事情でこの子が追いつめられたかはわからないけど、このセンコウがいかに暴力教師でも、殴り返してやればいいじゃないか。それでどうなっても死ぬよりはマシ。そのように言うと不謹慎でしょうか。

ここで爺さんが書かれていることはすべて同感です。一般の良識ある人もそうだと思います。しかし総理や校長になる人に、その良識が欠落しているのはなぜでしょう。権力闘争のなかで落としていくのか、そもそも持ちあわせていない人が権威にすり寄るのか。

とにかくバカにはいつか一矢報いてやらないといけません。それが良識のない行為だとしても。

kiona さんのコメント...

追記
セス・ゴーディンさんのレクチャーがまさにこのテーマです。
http://www.freshcreation.com/2013/01/what-is-school-for-seth-godin/?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed%3A+freshcreation+%28fresh+creation+-+inspiration+for+creative+minds%29

senkawa爺 さんのコメント...

kionaさん
貴重なコメントをありがとうございます。
学校のIT化については全くご指摘の通りだと思います。
自分でトライして思うのですが、IT機器は小難しく考えず、自分が利用する範囲の操作手順さえ覚えればよくて、それはそんなに面倒な事ではありません。古手の教師や官僚が反対するのでしょうが、正に反対のために反対しているにすぎないと思います。

校舎の耐震工事もやっていけないと言いませんが、それを何十年も前に認可して放っておいたものを、急にさも大事件の如く取り上げるのは如何なものかと思います。そんなものに莫大な予算を付けて、明日地震が来たらどうするのですか。してもしなくても大勢に影響はないでしょう。

渋谷時代ですからもう13、4年くらい前でしょうか、米国メディアラボの技術者の講演を聴いた時に言っていました。小学校4年の娘の宿題が4ページのhtml制作です。日本も遠からず必ずそうなります。
マッカサーが日本を14歳の少年と同じと言ったそうですが、今はもっと遅れているのかもしれません。

セス・ゴーディンさんのレクチャーは通訳がいないので、残念ながら理解できませんでした。

kiona さんのコメント...

耐震工事、さかんですね。けっきょく土木から抜けられないんですね。

ゴーディンさんのレクチャー、自分もざっと聞いただけで半分くらいしかわかってないと思いますが 「学校は何のためにある?」と問いかけ、これまでは工業化社会の中で従順な工場労働者を養成するためにあった、しかし時代は変わって「これをやってはいけません」教育からクリエーティブな教育へ移行すべき。その答えはまだ誰もわかってはいないが「学校は何のため?」という問いかけがない限り変わらない。すべてはそこから・・ みたいな流れです。

教育者じゃないし、自分が受けてきた学校教育を思い出したり、今子どもが受けている学校教育について考えられるのはあと数年でしょう。その間に変動が起きても子どもたちはもう恩恵には授かれませんが、ちょっと考えてみたいテーマです。

senkawa爺 さんのコメント...

kionaさん
追加コメントありがとうございます。
耐震工事なんて本当に土建屋を喜ばすためのものでしかないと思います。

江戸時代までの寺子屋は親に代わって読み書きそろばんを教えてくれたのでしょう。現代の教育は更に進んで、親に代わって長時間子供を預かり、集団教育訓練を通じて社会性を涵養するとか保健教育や栄養管理の手助けまでするようになっていますね。

それはそれで重要な事だと思いますが、親の目が届かない時間の子供たちの成長を、親に代わって子細に見届け、それなりの対応をしてもらわねば困るように思います。