2013年1月3日木曜日

お正月


普通の方からすると少々変わっていると思うが、毎年お正月は行動パターンが決まっている。先ず年末の30日になると婆さんが実家に里帰りしてしまう。1915年生まれの岳父が30年ほど前に脳卒中で倒れて以来、自宅で大晦日と元日を家族と共に過ごしたのは何回有るか、ひょっとしたら1度も無いかもしれない。360日誠心誠意あなたに尽くしているのだから、せめて年末年始の5日くらいはお許しを、てなことらしい。岳父は疾うに亡くなっているが、義母が89歳で健在、しかも一人暮らしなので仕方ない。

こちらは子供の頃からスキーに夢中で、高校生くらいの頃から正月自宅にいることが殆ど無かったので余り苦にならない。ここ何十年は暮れの大晦日か元日には伊勢神宮参拝と決めている。1昨年の暮れに大晦日から元日にかけてのバスツアーを見つけ、今年もこれで行ってきたのだが、丸2日間潰してくれるので実に好都合である。今回は添乗員の男性(前回は女性)がよく勉強している人で、車中で通過地点の地誌を丁寧に説明してくれたり、伊勢神宮にまつわる神話を聞かせてくれたので、退屈することが少なかった。

それでも流石に帰路御殿場から大渋滞に巻き込まれ、新宿着20時頃の予定が22時過ぎになってしまった。これも添乗員さんによれば、中央道笹子トンネル天井版崩落の影響で、中央道を嫌って東名に廻る車が多いためだったらしい。年末年始寒波と言われた割には2日間暖かく、神様には欲張って山ほどのお願いをしたので、神様もお困りだったかもしれない。お参りの後はいつものように、お土産の赤福餅を買い善い初詣だった。

それにしても日本人の宗教心と言えるのかどうか不思議なものだ。伊勢の内宮に鎮まる天照皇大神、日本で最高位とされるが神様にランクがあることに誰も(少なくとも参拝する人は)疑問を抱かないらしい。しかもこの大神様は明らかに人間(女性)である。キリスト教でもイスラム教ででも仏教にしても神は人間とは隔絶した存在で、性別などある筈も無い。日本の神様には父もいれば母もいる。勿論子供もいて、数代後になると皇室の祖である神武天皇の誕生になる。以降現在に至るまで皇室には2670数年の記録(過去帳?)が残るとされ、そのちょっと前の先祖が神様なんだから不思議な国だ。

日本人は全員この神様の子孫と言うことになり、百二十何代か遡れば同じご先祖になってしまう。我々が仏壇を拝むとき、普通は記憶にある先祖に思いをはせて祈り、誓い、願いを念じている。伊勢参りもその先をずっと昔にさかのぼって、遠い親戚のおばさんに同じことをしているだけのこと。こんなの宗教と言えるのかな。にも拘らずご利益を求め毎年通う心理は何なんだろう。

天照皇大神は神ではなく、仏教の釈迦キリスト教ではイエス、イスラム教の初代モハメッドと同様、神の代理人かな。しかし神様の子孫であるとされている。そのまた子孫の存在が現世で自他ともに認められているとは、外国人からすると驚異だろう。伊勢参りの度に思うのは神殿神官が質素でシンプルであること。天皇の宮殿や生活についても同じ。実際の貨幣に置き換えるとなんて野暮を言ってはいけない。神道の良いところはお参りするたびに、贅と華美に流れがちな我が凡俗の精神を戒めるような気持ちにさせてくれることかもしれない。

そして昨日の義母への挨拶、贅を凝らした雑煮と正月料理加えて冷酒をたっぷりご馳走になった。

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