2012年12月22日土曜日

一陽来復

昨日は冬至、夕食前にゆず湯で暖まり、夕食では婿さんの実家から戴いた南瓜で作った自家製パンプキンスープを美味しく食べた。サラダもゆずの皮が入っていて非常に香ばしかった。風呂の中で黄色いゆずと皮がむけた白いゆずが混じっていたので不思議に思っていたら、皮を食用にするために意図的にしたのだそうだ。皮を剥いて冷凍保存するといろいろな料理に役立つらしい。

更に昨日は、少し仕事を手伝っているNPOでも極細やかながら年内に一定の仕事のけじめがつきそうとの報告があった。内容的には喜ぶには程遠いが、それでもけじめが着くだけでも善いではないかと思っている。タイトルに使ったように冬至は陰の極でどん底を意味したらしい。太陽暦の現在では冬はこれからだが、陽が数秒ずつ長くなるのだから少しは明るい気持ちなろうと思っている。

NPOの仕事も、来年は少しずつ社会に認められるようになることを期待したいし、そうなるだろうと思っている。それにしても昔の人はうまいことを言うものだ。太陽が再び戻ってくる日を意味するのだろうが、教養が無い小生はてっきり「来福」だとばかり思っていた。当然多くのお馬鹿さん達が小生のように考えることを前提に言葉を作ってくれたに違いない。

それに引き換え昨今の政治家の語彙のご粗末さだ。ここ数日何度も聞かされている「政府と日銀でアコードを結んで」とは一体何のことだろう?テレビでは「政策協定」とテロップを出してくれるが、だったらそう言えば良いではないか。余程後ろめたいので、昔あった車の名前なんかを持ち出して誤魔化そうとしているとしか思えない。日銀サイドの白川総裁も意気地がなさすぎる。中央銀行の独自性も矜持もあったものでない。サッサと白旗を掲げている様子で、こっちも見苦しい。

序でに言えば、過度の謙譲は傲慢に通ずと言うがこれもその通りだ。自民党の石破幹事長、二言目には「我々は民主党と異なり、野党の皆さんの声に謙虚に耳を傾け・・・・」と枕詞を使う。本当に謙虚な人が己のことを謙虚になんて言うか。細い目でしかも三白眼も珍しいが、喋る時に両手を前に出して妙に長い小指をひけらかされると気持ちが悪くなる人がいるみたいだ。

自分のことを棚に上げ、他人をけなす芸風も困ったものだ。折角の一陽来復を契機に芸風を変えることが出来ればいいのだが。雨も上がって陽が差してきた。カレンダーなどを差し替えることにしよう。

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