2012年1月3日火曜日

年の初めに

                   :お伊勢参りに向かうバスの車窓から

暮からしばしの間お正月休みでブログもお休みした。今日からまた平日の日課にして書いてゆきたいと思う。私は昭和15年(所謂皇紀2600年)4月4日の生まれ、今年の誕生日で満72歳になる。90過ぎまで生きた両親や最近の平均寿命なるものを思うと未だ未だと思っていたが、冷静に考えると随分長い年月を生かされてきたものだ。休みの間は何となく両親や先祖を事を思ったり、年賀状を見て無沙汰を重ねている友人知人に想いを馳せたり、子供や孫にも会ったりしていろんな感慨にふけった。

これまでの長い人生を小過は数えきれないが、大過なく過ごせたのは神仏のご加護と大勢の方から戴いたお力のお陰と改めて感謝するばかりだ。これから先残された僅かな時間も、人様のご迷惑にならず、且つ穏やかな時である事を祈るのみだ。「のみだ。」なんて言っても随分欲張った願いかも知れない。

私の名前「明」は祖父が付けてくれたもので、祖父が書いた手紙に「在明○徳」出典:大学と墨痕鮮やかにあり、赤ちゃんの多幸を祈ってくれている。今や最も大切なお宝だ。手紙の日付は4月6日。奈良で生まれたので、長野の祖父には電報が行って、直ぐに考えてくれたのだろう。そして僅か1週間後の4月13日に、この祖父が脳溢血で亡くなってしまうのである。当然私は祖父に会ったことはない。しかし、身体の中に祖父の血が流れているせいか、常に近くに感じているし、何かにつけ祖父を真似ようとしている自分がいる。

祖父が亡くなったのは62歳かと聞いているが、亡くなる前日まで約35年毎日日記を書いていた。先ずこのブログもその真似。祖父は大正から昭和にかけて、随分と山歩きをしていた。中高生の頃読んだ祖父の日記にはすべて記録があり、今は無くなってしまった田舎の家には焼印だらけの金剛杖が何本も転がっていた。数年前から始めた山歩きも祖父の真似事。もう一つはお伊勢参りである。

祖父の道友(禅宗)の一人が書いた追悼文がある。その一節に「新年には必ず伊勢大廟に参拝して、それから皇陵を参拝されることを近年毎年の恒例とされていたようで、毎年々賀の挨拶はその皇陵参拝の旅の挨拶を兼ねて貰うことを例としていた。」とあったので、真似事3として伊勢神宮初詣を初めてもう20年くらいになるだろう。今年は大晦日から1泊のバスツアーに参加して行ってきた。幸い天気も良く、バスツアーも昨年の夜行日帰りと比較すると、遥かに楽で充実した内容だった。

あまり良い事ばかり続くのも気持ちが悪い。先ほどネットで碁を打ったらものの見事に負けてしまった。平凡で中庸な日々を改めて願おう。


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