2011年11月30日水曜日

天皇陛下の定年 やっとか、ついにか?

昨日秋篠宮文仁親王殿下ご夫妻が、殿下の46歳の誕生日前日の記者会見が行われたと報道されている。こんな会見毎年あったかなぁとの気がしないでもない。この会見で記者が「天皇陛下の定年制」について尋ねたようだ。世が世なら打ち首ものかもしれないが、勿論入念な事前打ち合わせの上の事だろう。それだけ時代が変わってきている証拠でもある。殿下も言葉を選びながら、検討する事を否定していない。

我が国の天皇制についての法律など詳しくは知らないが、天皇の存在は否定したくない。折に触れて拝見する天皇ご夫妻のお姿、特に昨日の殉職消防士の慰霊祭や、災害被災地を見舞われた時などから受ける印象は、心から胸を打つ温かいものを感じる。この方がいなくて、選挙で選ばれた国民の代表が、代わりを務める様相を想像するだけでぞっとしてしまう。

小生の知る人でも、先の大戦で不幸な思いをした先輩の中には、敗戦時に天皇制を廃止して共和制を引くべきであったと主張してやまない人もいる。それも一つの考えではあるだろう。しかし小生は天皇制が残されたことが、国民を勇気づけたと思っている。皇統の継承についても、最近また議論する機運が高まっているようだ。これも昨日の秋篠宮殿下の発言と無縁ではあるまい。いずれも大いに議論すべしだと思う。

確かに千数百年も万世一系、しかも男系男子だけで繋がっている家系だなんて誰も思っていないだろう。天皇家の過去をたどれば室町時代に行くまでもなく血生臭い事も多々あったのだろう。小生もありていに言えば、僅か百数十年前の明治維新前に、明治天皇の兄宮孝明天皇は伊藤博文でないにしても長州藩の手で暗殺されたと信じている。

人類の叡智は歴史を学ぶことから生まれるかもしれないが、因習に拘るのはよくない。これからの天皇制や天皇家の在り方を、出来うる限り政治色を排除して、象徴として担いでいる国民的見地から見直す事は非常に大事なように思う。宗教心薄い小生ではあるが、苦しい時の神頼みで、よくお宮にお参りをする。カトリック教徒が教会に行くようなものだろう。例えは双方に失礼かもしれぬが、皇居は日本のバチカンと思ってもいる。

何れも平和のシンボルであってほしいし、我が子や孫達も末長く天皇制や天皇家を大切にしてほしい。

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