2011年8月30日火曜日

焦らずに

最近まで思っていたことがある。人生残り少ないのだから、あれもやりたい、これもしたいとやり残しを性急に進めている事。その典型が山登りだ。長野の出身だから幼い頃から山が好きで、周囲に見える山に憧れ、小学生時代から近所の山をよく歩いた。と言っても、住んでいた善光寺平から見えた山々全ては、18歳で故郷を離れる日までにとても歩けたものではない。

それが理由は定かでないが、サラリーマンを辞める頃から山に憧れる気持ちが再燃し始めた。若い頃毎日のように南東の方角遥かに望んだ「根子岳」に初めて登り、極めて爽快な気分を味わったのが2005年の夏、65歳の時である。おそらくこれがきっかけになったのだと思うが、いつの日かアルプスと言われる山にも行ってみたい。行っても行かなくても同じじゃないか、といきがっていた上高地へも行ってみたいと思い始めてしまった。

その下心があったので根子岳に行った年から翌年の秋まで1年とちょっとの間に、毎月のように首都圏中心ではあるが山歩きを始めた。そして翌2006年の9月最初の土日に初めて上高地を訪問。アルプスの景観を目の当たりにして、今までこらえていた欲求不満が一気に噴き出してしまったのだろう。その翌々週には中学の夏季遠足で置いてきぼりを食らった「燕岳」に挑戦。台風に遭遇しながらの山歩きで、山頂でも何も見えなかったにも拘らず、やり残した事が出来た満足を味わったのかもしれない。

これで止めればどうと言うことはないのだが、その後山登りは老後最大の楽しみになりつつある。今度の土日で初めて上高地に行ってから丸5年、6年目に入る勘定か。ハイキングシューズも既に2足目を履いているし、リュックサックは3個も買った。長野県だけに限っても山の数は知れず、歩くほどに登りたい山が増えてくるの実情で困ったものだ。

冒頭に書こうと思ったのこの事だ。何を今更、死に欲をかいても仕方がるまい。今更焦って、やり残したことを取り戻そうとはおこがましい。過去は過去、昨日までの事は悔やんでも始まらない。現在目の前にある楽しみは別に過去と関係のあるものではない。たまたまそこにあるなら、現在与えられた能力の範囲(又はペース)でゆっくり楽しむべきではないか。

てなことにやっと気が付いた。いくら食べても食べ尽くせぬご馳走があることに感謝しつつ、ゆっくりと味わうことのできる楽しさが分かりつつあるこの頃である。お陰で最近何をするにも、運動のリズムがゆっくりになってきたように感じている。囲碁なんかが特に顕著だ。負けても余りカリカリしなくなったのと同時に勝率まで上がっているようだ。

5 件のコメント:

geotech さんのコメント...

慌てず焦らず、のんびりと。

senkawa爺 さんのコメント...

geotech さん
コメントをありがとうございます。

ここまで来れば満足です。

しあわせさがし さんのコメント...

>いくら食べても食べ尽くせぬご馳走があることに

何だかとっても胸に響く言葉です。
ほんとですねぇ・

senkawa爺 さんのコメント...

しあわせさがし さん
コメントをありがとうございます。

食べ残すのは残念でも、これまでに食べられた有難さはどんなに感謝しても、し尽せるものではありません。

マネージャーK さんのコメント...

慌てず焦らずゆっくりと。
簡単なようで、難しい事ですね。

登りたい山。
登れば山頂から次の山が見える。
つぎはあそこに登りたい。(笑)