2011年7月26日火曜日

読後感「ローマとギリシャの英雄たち」阿刀田 高 著

著者の本は時々読むが、どれをとっても一言で言えば「大変面白い」。これもその例に洩れないもので、我々には難解なヨーロッパの古典「プルターク英雄伝」を分かりやすく読み解いてくれている。<黎明編>と<栄華編>の2巻になっているが、下巻の<栄華編>を山に行く途中の長野で書店で買った。何故なら下巻の方は第13話から始まるのだが、トップがアレクサンドロス(アレキサンダー大王)が2話で以下カエサル(シーザー)が2話続いていたからだ。知っているようで知らない事が如何に多いか、この歳になって思い知らされた。

この二人は何となく知っている名前だが時代的には大分違っている。前者は紀元前4世紀、後者は紀元前1世紀の人だ。ヨーロッパに行ったことが無いのでピントは来ないが、ローマ帝国が始まったのは1世紀初めの頃で、カエサルとクレオパトラがイチャイチャしていたのはその大分前の事らしい。しかし、クレオパトラの話はしっかり出てくるのだが、この辺も実に面白い。

こちらは絵本や映画で、カエサルが暗殺された後、彼女が後を追いかけて蛇に腕をかませて自殺したような思い込みがあった。これが全くの見当違いで、クレオパトラは強かな女性で、カエサルの死後15年も生き延び、カエサル以降のローマの支配者をある意味で手玉に取ったようでもある。勿論美形ではあっただろうが、何と言っても頭が良くて語学がエジプト語、ローマ語(ラテン語?)、ギリシャ語からペルシャ語やアラビア語まで使いこなしたらしい。

取り上げている人間の殆どが波瀾万丈の人生で、国内外に昨日の敵は今日の友のような権謀術数が渦巻く中で、国を治める事の難しさが偲ばれる。兎に角一歩間違えれば殆ど命を落とす事になるのだから、何をするにもそれなりの覚悟だけはいつも持っていたと想像できる。従って多くの英雄が非業の最期を遂げるお話が殆どだ。政治の本質は昔も今も「殺すか、殺されるか」かもしれない。

一見民主的な共和制を敷いていたローマでも、結局はカエサルが法を破り、ルビンコン川を超えて自分の軍隊をローマに入れて覇権を握ってしまう。紹介される英雄の中にキケロなんて有名な哲学者も出てきて、ローマの執政官として知恵と爽やかな弁舌ローマ市民の尊敬も集めるが、最顎は一時組んでいたアントニウスと対立して、首と手首を切断されて惨殺されてしまう。所詮政治は最後のところ軍事力、数の勝負で今も変わらないとすれば情けない話だ。


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