2010年11月9日火曜日

いじめられっ子 いじめっ子

先月23日自宅で自殺した群馬県桐生市の小学6年生女子について、学校側が昨日(11月8日)やっといじめのあった事を認めたそうだ。これまで両親は「自殺の原因はいじめだ」と訴えていたが、学校側は「学級内の人間関係に問題はあったが、いじめがあったとは認識していない」と記者会見などで説明していた。見解を転じたのは、全校児童を対象にアンケートや聞き取りをした結果、複数の児童からこの女子児童に心ない言葉が投げかけられていたことが判明したため、だそうだ。

こんなニュースは見たくも聞きたくもないので、関心を持たないようにしている。しかし、今日朝早くから校長の謝罪会見が何度も繰り返し放送されるので嫌でも目に入ってしまう。謝罪の言葉も日本語としてなっていないし、随分頼りなさそうな校長だ。我が家は実弟も家内の実家も教員教師が多いので、先生方の質の低下についてはあまり声高に言いたくない。しかし婆さんの方はそうはいかずに怒りまくっている。

「今や少し優秀な人は校長になんかならない、生徒も親も昔とは様変わりで、生徒の指導以前の問題でなにが起こるか分からない。最悪は身の危険を心配しなければならない。」そしてこう付け加えた。「今度の桐生市の事件を見ていて思うのは、いじめを認めたとか認めない、因果関係があったか無かったか、ではなくて問題の解決に時間をかけ過ぎている事だ。何故かと言えば、解決に時間をかけ過ぎる事で、いじめたとされている生徒側の心の傷が深まるではないか。」

日頃は関心を持たないニュースだし、先生の悪口も聞きあきているので聞き流そうと思ったが、最後の一言が心に残った。確かにその事は大事かもしれない。自分もどちらかと言えばいじめっ子だったし、上の孫も体が大きくて、そっちの方だったのではとの心配もある。問題になっている桐生市の件は別として経験だけで子どもの頃のいじめについて言う。いじめられる側といじめた側には心理的に相当大きなギャップがある筈だ。即ち、いじめられた側からすると死にたくなるほどつらい事も、いじめているとされる側には、深刻さが皆無で、ホンのおふざけで許される範囲と思っている事だ。

卒業から25年ほど経った中学校の同窓会の席上で、同級生から面と向かって真顔で言われた事がある。「昔あなたから『この低能の豚野郎!』と言われた時は、家に帰っても悲しくて本当に死にたくなりましたよ。」四半世紀を過ぎて印象に残っているのだから相当なインパクトだったに違いない。勿論加害者である小生の記憶に何もなかった。「本当に申し訳ありません。」謝ったものの、後悔は先に立たず、爾来この傷は一生こちらに残るだろう。本人は認識していようといまいと、いじめはいじめなのだ。被害者がいじめと明白にしている事をアンケートを取ってみなければ分からないとは何事だろう。

仮に事件発生まで担任がいじめの実態を把握できていなかったとしよう。しかし翌日、クラスの担任が加害者と思われる数人と被害者の友人と思われる数人に事情を直接聞けば、どんなにご粗末な先生でも実態把握は簡単に出来た筈で、実際にはそうしているのだと思う。

ここからが問題で、重大な事件だから、当然市の教育委員会やもっと上部の組織も絡んでいるに違いない。そして何かにつけ問題になってくるのが「総意=大方の意見」である。担任なり校長が翌日「申し訳ありません。気が付きませんでした。」或いは「指導不足でした。」と簡単に頭を下げられないのではなかろうか。今の世の中、こちらは見たくもない記者会見が必要となり、アンケートが必要になってくる。

確かに先生方一人一人の能力資質の劣化もあるのかもしれないが、教育のように極めて個性的な問題が、マスコミとの関係において平準化を強いられる現象がある。日教組が戦後教育を悪くした、とこれまた一般的に言われる。日教組の何が何を悪くしたのか具体的には何も知らないが、マスコミに依る平準化社会や、記者会見を強いられる事の方が余程罪が深いと思っている。

マスコミが絡むと全ての事象について全国一律平準化と国民の総意だ。小生は同意したくないが、世論調査のように平均化された数値から、分かる事もそりゃあるだろう。しかし、教室で発生した極めて個人的な事件に関連してアンケートを取って何をするというのだ。関連した当事者(加害者を含め)に対する迅速な善後策ケアこそが、早急に求められている大事ではないか。そしてこれ又残念かどうか分からないが、当事者に任せる以外ないだろう。

学校の格差、教師の格差、生徒個人個人の資質格差があることは誰にも否定できない。まして個人の感情については千差万別は言う迄もない。個人的な接触なくして教育が出来る筈はない。総理大臣でもあるまいに、田舎の校長さんがテレビで多くの人に頭を下げる理由はどこにあるのか。マスコミはいつも国民の代表のような顔をしているし、記者や出演者も二言目には「私たち国民」と平気で言う。小生はいつも苦々しく思って、心中「お前になんか俺の代弁をしてほしくない。」と呟いている。

アンケートや世論調査のように平均化された数値から、真の問題の所在や解決方法が見つかるはずの無い事を声を大にして指摘したい。

3 件のコメント:

kiona さんのコメント...

自分もどちらかというと いじめる方でしたが、かといって組織的で陰湿なものではなかった気はします。 小学校だったか中学校だったか忘れましたが、こんな事がありました。 自分がたまたま、ある女の子をヘンなあだ名で呼んだところ、それがクラスで流行ってしまった。 こちらは流行を生み出して悦に入っていたある日、その女の子から直接 「それ、やめてくれない?」 と言われました。 その微妙な表情を見て、マズかったなと思ったので謝り、それ以降使わないようにしていると、いつのまにか流行は過ぎ去った。

こんなエピソードが何の役にも立たない事件ですが、学校はともかく、親が守ってやれなかったものかと思います。 誰のせいにしてみても子供は帰ってこない。 どんな思いで死んでいったのかを考えると、子供の声はもっと聞いてやらないといけないと思うと同時に、先の女の子のように直接言う強さを身につけさせたいとも。 あるいはいじめる側に回らないようにストレスでがんじがらめにしない。

またまた浮いたコメント、失礼しました。

senkawa爺 さんのコメント...

kiona さん
いつもコメントをありがとうございます。
そうなんです。いじめと思っていなくてもいじめられたと思われる事ってあるのですよね。当時の当事者に分からないのが不幸です。
他人の家については何とも言えませんが、親子関係も千差万別で難しいようですね。

突然又中学生の時の事を思い出しました。母から、小学校に通う弟が学校でいじめられたかどうかで、学校に行きたがらないようだ。一緒に付いて行って見てやってくれ。と頼まれました。弟の後から付いて行ってみると、案の定校門の少し前で下を見て佇んでいます。一緒に来いと言って教室に連れて行き、一番悪そうな生徒を呼んで「こいつの面倒をしっかりみろよ。」と言った事を思い出しました。その後何も起きなかったようなので、それで解決したのだと思います。

kiona さんのコメント...

いいですね、そういう感じ。 親が出ていくより、まずは兄貴ですね^ ^