2009年10月13日火曜日

弟と故郷の山に


10月10日からの3連休、故郷の戸隠山に長野在住のすぐ下の弟と出かけた。弟は長野で長く教員をしていたので県北の戸隠から県南の木曽まであちこちに移り住み、その間に県内の主な山は全て登りつくしたそうだ。特に信州大学に在学していた頃から山岳クラブに所属していた時期もあり、若い時にはかなり健脚を誇った時期もあったとの事。10日の夜、弟の家で夕食をご馳走になりながら聞くと、中房温泉から燕に登山、燕山荘で1泊、翌日は槍ヶ岳山荘で2泊目を過ごした後、翌日槍が岳から南岳、北穂高岳、涸沢、上高地を経由して長野迄一気に帰ってしまった事があると聞いてびっくりした。


しかし、教員をリタイアして既に6年になるそうだが、この間は山歩きを全くしていないとの事。奥さんが「お兄さんはこのところずっと鍛えていらっしゃるから大丈夫でしょうけど、ついて行けるかしら?」とちょっと心配そう。「別に山頂には届かなくても良いし、無理だと思ったら引き返せばいいから行ける所まで行ってみよう。」と気休めを言っておく。11日の朝もあまり早く出発するのも如何かと思ったので6時15分に出発、7時15分頃戸隠牧場の登山口から登り始めた。戸隠は弟も私も子供の頃から何度も来ているが、いつも奥社から登る八方睨み往復のコースが中心で、八方睨みから表山を縦走してこの牧場に降るコースは高校時代に一度しか来た事が無い。弟も同様みたいで、高妻までは初めてとの事。


ともあれ、遅い時刻からの登り始めだったが、まだ同様な登山者は居る。紅葉を楽しみながら高妻の前山に当たる五地蔵に向かう尾根道は天気も良く、比較的順調であった。しかし最初は「少しゆっくり歩いてくれ。」と頼んでいた弟が少しペースが落ちている。聞くと途中で足がつったとの事、しかしここまで2時間40分程で来ているのでほぼ予定通りだ。ここから少し降って登り返しになるので、「大丈夫か?」聞くと「大丈夫だ。」と言うので高妻山頂を目指す事にする。コースタイムは1時間50分と出ているが、未だ9時45分何とか昼までには着くだろう。昼飯を早食いすれば明るいうちに下山可能だろうとの計算だ。


案の定、ここからの登りはかなりきつい。その上ルートが細いので下山者との待ち合わせが頻繁になる。休み休みの登山になるのは良いのだが、時間がかかる。結局山頂は昼少し前、弟はかなりばてている。その上風が強くて気温が低い。山頂からの展望は殆どきかない。弟を少し休ませて1時になったので下山を始めるが弟の疲労がかなり来ている。後ろから見ていると片足で体重を支えきれないようだ。足を引きずっている感じなので、やばいとは思うが後ろから声を掛けながら1歩1歩慎重に降る。勿論後続の下山者にはどんどん道を譲る。3時間半かかってやっと一不動に辿り着く。既に登山者は一人もいない。


ここからルート時間で90分、途中鎖場あるのでここを何とか明るいうちに通過したいのでもう彼を休ませる余裕がない。声を励まして休みなしに歩いてもらう。それでも鎖場は何とか陽のあるうちに通過出来たのでほっとした。しかしここから先は沢を下り、渡河を何度も繰り返すので気は抜けない。日帰りだと思って弟の荷物を点検もしない出来たが、弟のヘッドライトが極めて古い代物で、明かりが弱い上に遠くに飛ばない仕掛けだ。ここで悔やんでも仕方がないし、真っ暗な登山道をぴったり後ろから寄り添うようにして下山。奥さんが心配したように12時間以上の山歩きになってしまった。我が家は男5人兄弟であったが、思えばこの弟が一番頑張り屋で弱音を吐く事をしない子だったかもしれない。またまた反省しきりだ。


翌、昨日は弟の奥さんも一緒に再び戸隠方面をドライブ、少し早いが紅葉を楽しみながら弟に戸隠連峰をずっと解説してもらい、中社にある「仁王門」と言う蕎麦屋でおいしい蕎麦をご馳走になって帰宅。婆さんに顛末を話すと「本当に困ったお兄さんね、2度と遊んでもらえませんよ。」と怒られてしまった。

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