2009年7月24日金曜日

既に平成は21年

梅雨は空けやらぬ気配だが7月もすぐ終わりだ。近年は温暖化と大騒ぎをする向きもあるが、これでは寒冷化傾向学説の方が正しいと証明されてしまうのではなかろうか。たまたま読んでいた雑誌に次のような事が載っていた。

貝原益軒先生が「養生訓」で曰く、「老後は若き時より、月日の早き事10倍なれば、1日を10日とし、喜楽して徒に日を送るべからず。」なるほど尤もな言葉である。喜楽して徒に日を送ったせいかも知らぬが、はっと気が付いたら既に平成21年。小生昭和15年生まれなので、昭和を38,9年過ごしている。
その昭和時代の半分以上の歳月を平成になって過ごしたとはとても信じられない。

平成になってから変わった事は、娘たちが嫁になって外に出て家族が減った事、外ではあるが孫が出来た事くらいか。改めて顧みれば、個人的には老化現象を含め相当な変化はあるのだろう。しかし、世の中の変化にこちらが疎くなっているのかもしれぬが、昭和に比べて平成は世の中変化とか進歩が極めて薄っぺらにしか感じられない。ただのんべんだらり日々が過ぎていくだけで、活力とか躍動感に乏しい事夥しい。ただ一昔前には考えられないような凶悪だったり破廉恥な犯罪が頻繁と起こっている。

年を取ると懐旧の念から昔が良く思えるのかも知らぬが、昭和―特に我々が小学校に入学した昭和22年から20年+20年と平成の20年、この3個の20年間を比較してみると、時代が持っていたエネルギーに実に大きな差異がある。これは己個人の思いだろうか。おそらく同世代のの方であれば殆ど同じ思いを待たれるのではないだろうか。敗戦国である事は誰もが承知をしていたが、日本人としての誇りというのだろうか、アイデンティティーは失われていなかったような気がする。

そして、我々が親元を離れた昭和35,6年、独立したとは言いながらアメリカの保護下で、国家として一人立ちしたとは言い難い状況ではあったが、国民一人一人が現在に比べれば旺盛な独立心を育んでいたように思う。事実若かった我々も今の若い人に比べれば、幼いところもあったか知れぬが、大人としての責任感を持っていたのだろう。

その独立心とか大人の責任感が真ん中の20年を経て平成の20年間でものすごく希薄になっている。子供の時から洋風の生活に馴染み、外国語を早くから使い、外国に行ってもものおじしない立派な国際人が多くなるのも結構だ。しかし、諸外国から緊張は強いられないが相手にもされない国に成り下がっている現実を若い人たちはどのように受け止めているのだろうか。訳も分からず「安保反対」を叫んだ自分達より現代は賢い若者が多いことを期待したい。

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