世間は既に御用納めも済んで迎春ムードだろう。しかしこちらはそうはいかない。今日は亡き家内の8回目の命日。いつものように早朝から仏壇を開いて、これからの見守りの継続を祈った。個人としては両親から命を受け継いだが、縁あって彼女を娶ったことで新しく所帯を持てた。嫁に来た当初から男児は不要、女児だけでよいと主張。男5人兄弟の家庭で育った小生としては不思議に思ったが、家庭内については任せると約束していたので、母は大分不満だったようだが婦唱夫随とした。
結果的には良かったと今でも思っている。自分の死に際や或いは死後を思うと、看取ってくれたり弔ってくれる縁者が居なくなるなど不便はあるかも知らぬが、自分の死後の娑婆なんかどうなっても良いじゃないか、冥界に赴けば縁者だらけで歓迎される筈なんて考えている。昨夜の高校同期生リモート懇談の最後に一人の友人が、如何にもこの世は暗いとばかりに「明るい話題が欲しい。」と述べた。しかし明るい話題とは何を言うのだろう?彼自身は話を聞いている限り、結構明るくハッピーに生きてるようだ。
他人が明るくなっても自分が明るくなるとは限らない。寧ろ他人の不幸は蜜の味ではないが、毎日テレビの報道を観ている限り国際紛争関連の報道の多さ。日本人の多くは高みの見物むしろ楽しんでいるようにさえ感じてしまう。どんな人でも縁の薄い人や遠くの人の苦楽は映画の話と同じこと。本当の苦楽の実感は家庭内に存在すると思う。歌の文句にもあるではないか<朝はどこから来るかしら‐中略‐それは明るい家庭から~>だ。
家内は自身若い時に裁縫を習っていたそうだが、結婚してからは料理に高い関心を寄せ「子育ての基本は食事にある。3度の食事をきちんと定時に用意してる家庭で不良少年少女が生まれる筈が無い。」が信念だった。子供たちが小学生時代は区内の社協会館で子供料理教室を開いていたし、料理は余り分量に拘らず目分量で行くことを薦めていたようだ。
直接教わったことはないが、小生も耳学問の教えを毎日実行している昨今だ。
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