無職だからボーナスの話を聞くと羨ましい。公務員の皆さんも33歳くらいで70万円を超すボーナスが支給されるようだ。特に国家公務員特別職の方政府閣僚や最高裁長官や衆参議長さんたちは数百万円と庶民からすれば気が遠くなりそうな金額だ。今更そんな人を羨んでも仕方ない。俺だって若い時に、賞与と書かれた袋が縦に立つようなボーナスを貰って、帰宅してから家族全員で喜んだ時代があっただろうに。あの頃は良かった。
帰宅すると、妻と娘二人が正座して袋を受け取ってくれたこともあったような気がする。これも今は夢のまた夢だ。現在は年金の支給日だけが楽しみで、今月は15日が日曜日なので13日には振り込まれるかな?なんてことを考え楽しむのみ。今年の正月は孫たちにお年玉を上げたような気もするが、来月の正月はそんな必要もなくなったようだ。歳と共にセコクなるのは仕方ないが、報道を見たり聞いたりして分からないのが国会審議。特に騒ぎになっている103万円の壁とか106万円の壁の意味が理解できない。
30数年前に会社勤めが終わってしまったので、非正規社員、小生の感覚ではアルバイト社員の存在が現代社会の中心になっていることが理解できない訳だ。幸か不幸か家族親族の知り合いにはそのような働き方をしている人物がいないせいかもしれぬ。昔から身を立てると言われるが、親元を離れて一本立ちするのは、毎月定額のお給料をきちんと貰える会社に就職することのイメージがあるせいだろう。
現代社会は、昔歌われたように<包丁一本晒に巻いてぇ~>じゃないが、腕に技術を持ち会社を次から次へと渡り歩く方が普通なのかもしれぬ。そうなると経営者も大変な筈だ。そんな人員構成で事業拡大を図るなんてことはとても想像できない。しかし現実はそんな社会になりつつあるようだ。政府では社会変化に対応して、有識者を集めて働き方や社会保険料の見直しの検討なんて宣伝してるが、集められた有識者なる人物が果たして任に耐えうるかどうか疑問が湧いてきてしまう。
評論家を評論しても仕方ない。己の時代遅れを嘆く方が先だ。今年の流行語大賞になった<ふてほど>はニュースで聞くまで全く知らなかった。日本語の意味イメージが全く浮かばない。因みに「不適切にもほどがある!」とのこと。そういう世の中に既になっていることを改めて実感した。
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