最近感心するのは天気予報がよく当たること。気象庁にすれば今頃年寄りに褒められるまでも無く当たり前だと思っているに違いない。高校生時代だからもう子供とは言えない時代、テレビが出現する前は、気象庁は主な地方の測候所のデータ(気圧、風向き、風速なんかだっと思う)をラジオで発表していた。山岳班に所属する友人はそれを聞き取って用意した白地図に記入、自分なりの天気図を書いて明日の天気を予想していたように思う。彼は国体にまで出場して優秀な成績を収めた筈だ。
ぼんくらの小生は天気を予想するなんて大それた気持ちは無かったが、夕方には片方の下駄を蹴りだして「あーした天気にしておくれ」なんて言っていたかもしれぬ。そして翌日突然の雨に会えば不運と諦めていたと思う。農業や漁業に従事する人たちも長年の感を養って自分なりの天気予報をしていた筈だ。現代、台風などは発生当初から進路や大きさまで丁寧に追跡発表されている。これでどれ程の人が助かっているか。報道は被害状況を事細かに発表するので、我々は予報のありがたみを忘れがちになる。
たまたま今日は昨日からテレビで言っていたように朝から雨で終日降り続くらしい。大勢の人がこれを知り、小生もそうだが予定を立てることになる筈。天気が生業に関わる人たちは金を支払っても天気の先行きを手に入れて当然。気象庁があるのに気象データを売る会社まで出来ている現代は面白いと言ったら怒られるかな。
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