2024年2月24日土曜日

東京と長野市

 今日一日、当につかの間のぬか喜びかもしれぬが陽射しが戻ってきてくれた、有り難い。東京は首都だけのことがあって、昨日みたいに同仕様もなく寒い日でも、昼飯を食いに出かけると何処も超満員。こちらは食い物が無いので仕方なく出かけてるが、飯屋に入って見渡せば、或いは家族連れ、或いは友人と一緒に嬉しそうに食事を共にしているので、店内は活気に溢れている。そんな雰囲気と場違いな一人飯の爺だが、食べ放題のしゃぶしゃぶで、野菜もたっぷり摂れたし、味も悪くなかった。

改めて都市生活と田舎暮らしの良さを考えてみたくなる。何と言っても山国信州の育ちだ。田舎が嫌いな筈はない。しかし父は農家の五男であったが、東京の大学まで出て県庁職員の完全なサラリーマン。住まいは長野市内だから東京の生活と大差はなかった。しかし東京の生活と大きな違い、それは朝に夕に見上げる景色の差が大きい。長野市は善光寺平と呼ばれる盆地だが、周囲を山に囲まれているが、東京で山を見るには少し電車で移動しなくてはならない。

高校三年生まで過ごした長野市内に所謂高層建築は皆無だったような気がする。学校も皆木造、入口には下駄箱が設置され、履物を脱いで裸足になるか、上履きに履き替えてものだ。学校帰りには毎日のように近くの丘まで足を伸ばして運動もした。遠くに見た高い山に登り始めたのはだいぶ年が行ってからだが、近くの飯縄山には何度も遊びに行ったし、電車で約一時間、バスを乗り継いでも半日位内で行ける志賀高原は冬のスキーを含め、何度行ったか覚えきれない。

大学入学後も夏と冬の長期休み中は必ず帰郷して、外国に行こうなんて考えてこともなかった。兎に角すっかり惚れ込んでいた割に、最近は全く趣味が変わったように都会に惚れ込んでしまっている。何でも簡単に手に入る便利さ、食事する場所の多さ。山は見えずとも生活は便利至極。そして水道水が美味く夏になれば始終生で飲んでいる。年寄りには都会生活が適している断定して良さそうだ。

最後に一つ、友人は圧倒的に長野時代のほうが多い。都会人は人情味に薄いとも言うが、それは少し違う。東京にも人情の厚い人は多いし、近所の人達も親切だ。

0 件のコメント: