2023年12月30日土曜日

会者定離

 今年も今日と明日だけ。例年になく有り難く思ったのが、今日まで燃えるゴミの収集があること。年末年始1週間以上休業する会社、お店やお医者さんが多い中で、来年4日から清掃局は活動開始とのことには感心、感謝だ。お医者さんだって人の子だから休診は責められないが、新型コロナが世界的に蔓延し始めているとの事も少し気になる。今年の5月以降新型コロナは指定感染症の5類に変更になっている。空気や人の動きに大きな変化が無いなら病原菌の活動も大差が無いだろう。

人の動きが活発になって経済が活性化することに異を唱える訳では無いが、不思議な気もする。日本でも冬になってコロナ患者が増えているようだがカウントの仕方が4月までと全く異なるので比較の仕方が分からない。特に死者数は5月以降発表が全く無い。例年暮には死亡する人が多い。家内も父もそうだったし、親類でも経験がある。急患を搬送する消防署や、焼き場などは相当混雑してるとのことが、コロナ禍の影響がどこまでかは全然分からない。

知ったところでどうにもならぬが、せめて自分は花が咲く4月頃旅立ちたいものだ。欧米で12月はクリスマスシーズンだからハッピーな気分が世間を覆うようだが、日本は反対に死者思い出す季節なのかも知れぬ。個人的にも12月はどうしても忠臣蔵を思い出してしまう。子供の時代から講談本や映画なんかで馴染んできたが、忠臣蔵は当に別れの美学の集大成。47人浪士の切腹は年が変わって翌年の3月14日だったとのこと。別に裁判があったわけでもないと思うが、幕府にも様々な思いがあったのだろう。

そんな事実はこれまで詳しく調べたことがなかったが、幼い頃から印象に残っているのは、日にちとは関係なく浪士全員が死ぬことを前提に事に及んだことだ。リーダーの大石内蔵助は江戸に下る直前、主君浅野内匠頭の元妻瑤泉院に別れの挨拶に出向く。この時の名台詞「此の度西国のある大名に召し抱えられる事になりましたゆえお暇乞いに・・・」がなんとも日本人らしい。

もう一つ有名なのが大高源吾と俳句の師匠宝井其角との両国橋上での出会いと別れ、師匠の其角が詠んだ「年の瀬や水の流れと人の身は」上の句に大高源吾が「明日待たるるその宝船」と付けたとされている。こんな話が世紀を超えて語り継がれているのも日本人の美意識だろう。

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